ブログはその時々の興味の軌跡。

このブログは2年前の夏から書き始めた。タイトルは意外とすぐ思いついて、好きな言葉の「記憶」と当時始めたばかりの「カメラ」という言葉をくっつけて「記憶カメラ」とした。すごく普通の言葉の足し算なんだけど、検索してみるとそんな言葉は誰も使っていないし、URLドメインも誰も使用していなかった。で、ブログ開設と同時にTwitterとInstagramにも同タイトルのアカウントを開設した。当時はたしか説明文に”ファインダーを通したもうひとつの目で、日々遭遇するモノとかコトを記憶したいと思った”、そんな風に書いていたと思う。

ブログを始めた頃に使っていたカメラは、Nikon D5300から買い換えたばかりのフルサイズ機Nikon D750とコンデジNikon Coolpix P340、そしてRICOH GR。レンズは50mm/f1.8、70-300mm、24-120mm/f4ナノクリだったかな。その後、レンズはMicro 60mm/F2.8ナノクリが加わり、ボディは超望遠のNikon Coolpix P900が加わる。平日はGR、週末は一眼レフなどNikon機を使い分けながら、どんどんカメラにハマっていき、そんなカメラたちとの日常をなんとなくブログに記していった。その後、最初の転機がやってくる。GRを一台残して、その他すべてのカメラとレンズを手放すのである。

理由は、端的にいえばロードバイクとの時間を増やしたかったのと、増えすぎたカメラやレンズとで、じぶんの時間がどれにもフォーカスできず散漫になっていたこと。いま考えると断捨離というやつだったのかな。そこから一年ほどRICOH GRだけを持ち歩き、ひたすら広角28mmの世界を追求することになる。苦手だった広角が好きになったこと、苦手だった縦構図が苦じゃなくなったこと、そしてモノクロ撮影に魅せられていったのもこの時期だ。いま思うとこの時期は僕にはとても必要なプロセスだった。その頃かな、首のあたりにヘルニアの傾向が見られたのと高血圧の症状があったから何か改善生活を始めなきゃというのと、ロードバイクとRunの興味がさらに発展してトライアスロンを意識し始め、カナヅチだったにも関わらず水泳を始めた。

そしてカメラはGRだけでこのまま過ごしていくんだろうなとじぶんでも思っていたんだけど、ある日、なぜか立ち寄ったカメラのキタムラの中古カメラコーナーで、フィルム一眼レフのNikon FEと目が合う。ここが、次なる転機になるのかな。FEと目が合うといっても、正確にいうと、用がないとその中古コーナーには立ち寄るはずがないので、心のどこかでフィルムカメラへの興味があったんだと思う。僕の身の回りにはフィルムをやってる人はいないから、その興味はきっとTwitterのフォロワーの人たちのフィルム写真やカメラだったんだろう。目があったFEはその日のうちに買って帰り、その週末恐る恐る試し撮りを行う。使い方なんてまったく分からないからキタムラの店員さんに簡単に教えてもらった手順とYouTubeの説明動画なんかを頼りに撮り始める。そして初めての現像体験。そして、現像があがってきた時の軽い衝撃。いや、軽くなかったな、かなりの衝撃を受けたといっていい。少々ぎこちないクラシックカメラで、普通に憧れたフィルム色の写真がじぶんにも撮れたことに本当に驚いた。あと、撮った写真をその場で確認できない不便なワクワクさなんかも衝撃的だった。それ以来、すっかりフィルムカメラの魅力にハマり、Leica M3、Nikon F2、もう一台のFEに、Konica C35とフィルムカメラが増えてゆく。そして、僕の興味は単にフィルム写真ではなくて、フィルムカメラならではのマニュアル撮影やオールドレンズへと移ってゆく。

そうして再びデジタル一眼レフに帰ってきた。中古でNikon D300を手に入れ、初めてデジイチをマニュアルで撮り、その感触を確かめる。その感触は間違いなかった。デジタルでもマニュアル撮影なら、フィルムカメラと同じように以前とは異なるデジカメ体験が楽しめる、そう確信したんだ。そして満を持して現行フルサイズ機Nikon Dfを購入する。数ヶ月前には思いもしなかったデジタル一眼レフの復活である。ただし、D750の頃と異なるのは、カメラ任せにしなくて可能なかぎりマニュアルでカメラと共同作業のように写真を撮り始めたということ。レンズは主にMF単焦点、28mm、35mm、50mm、そして43-86mmというズームも加わった。カメラやレンズは増えたけど、以前のように増やしすぎたという感覚はない。カメラを操る楽しさを覚えると、その時々でカメラやレンズを替えて写真の変化や気分転換を楽しむことは自然の成り行きというか、とても軽快で豊かなものになった。

ざっと駆け足で書くと、これが僕のカメラとの軌跡だ。そして、このブログは僕がその時々に感じたこと、行動に起こしたこと、その結果次へとつながったものなんかが、一タイトルに一枚の写真、一つの文章で綴られている。いま振り返ると多少今とは異なる考え方の記事も少なくないけど、それはその時々の僕のリアルなあり様だから、書き直したり加筆は基本していない。そうした過去のブログをアットランダムにTwitterにポストするように設定しているから、毎日流れてくる過去ブログに僕自身も懐かしくハッとすることが少なくない。ブログは単なる日記じゃなくて、僕にとっては記憶の軌跡。書き始めた頃は100話もいけばいいかなくらいに思ってたけど、水があっていたのか今では1400話を超えた。大したことは何ひとつ書いていないのに、それで1400話も書いてしまうじぶんを、ある意味リスペクトしたり。それもこれも、続けられているのはカメラがあるからだと思う。カメラの奥深さ、写真の奥深さ、そしてそこから得られる気づきや発見、いろんな要素が僕に終わりのない探究心を与えてくれた。人生、何が日々を変え始めるか分からない。僕の場合はカメラがそうしてくれたように。そういえば、ロードバイクを始めたのも一眼レフと遠出したかったからだし、スイムはそのロードバイクの延長線上、そして近ごろ一緒に暮らし始めた愛犬も散歩カメラのたどり着いた先のような気がしている。おもしろいよね、出会いって。そして、それをブログに残していくということは、密かに僕がみんなにおすすめしたいことでもある。

43-86、いい具合に周辺減光してくれてる。

この前、Nikon Dfで周辺減光させたい云々の記事を書いたんだけど、その続きみたいなもの。DfにAiや非Aiのオールドニッコールをつけて撮影する際に周辺減光させたいからヴィネットコントロール機能をOFFにしたりしてると書いたんだけど、それを見たTwitterフォロワーさんから電子接点のないオールドニッコールだとヴィネットコントロール判断が効かなくないですか?とアドバイスをもらい、なるほどと。そういえば、ネット上の記事でDレンズやGレンズで周辺減光させるなら…みたいなレンズを限定した記事だったような気がするなと。そっかあ、あえて周辺減光させたい願望は無理なのかなと思ったんだけど、同じくそのフォロワーさんから、”でも43-86とかは適度に周辺減光していいですよねー”といったニュアンスの追記をもらっていろいろ試した結果、そう、この写真のようにしっかり周辺減光してくれた。

カメラに詳しくなくてアレなんだけど、たしかこの写真の時はズームを最大の86mmにして絞りも開放気味だった気がするんだけど、そのあたりだと周辺減光しやすいのかな。すべての写真が周辺減光してるわけじゃなかったから(どれもわずかには周辺減光してるのかな)、そこは周辺減光しやすいポジションがあるんだろうね。もうちょいいろいろ調べてみよう。そうやって考えてみると、僕がフィルムカメラやオールドレンズを好むのは、この周辺減光しやすい質感というのもあるのかな。たしかにカメラを始める前にiPhoneで撮ってた時もLOMOアプリとかやっぱり好きだった。基本、ノスタルジックな質感が好きなんだろうな、僕は。じぶんがいちばん不思議だったりするから、じぶんの好みの本質みたいなものは、実はじぶんではよく分かっていないんだよね。もっと、じぶんを探求しなくては:)

いまの時代に、機械式カメラを作って”電気を使わないエコカメラ”として発売したら売れたりするんじゃないかと。

修理に出していたRICOH GRがなかなか戻ってこないなと思ってたんだけど、携帯電話をよく見ると委託先の修理店から電話が入ってたようだ。五年保証に入ってるものの何かしら修理代がかかるのかな。このへんがね、電気を使うカメラのつらいところ。僕のGRの場合はレンズが戻らないのと液晶が映らないことなんだけど、まあ電気的な症状なんで、仮に僕が少々機械をいじれたとしてもどうしようもない。機械式カメラだったとしても故障はすると思うんだけど、ひとまず電気的なカメラよりはシンプルで壊れにくい気がするし、それは壊れても直しやすいことを意味する。そんな印象もあって、フィルムカメラを始めてしばらくして機械式カメラを購入した。

フィルムカメラをやってる人は機械式カメラという響きはおなじみかもしれないけど、デジカメしか触ったことのない人や一般のカメラに詳しくない人は、いわゆる「電気を一切使わない機械式シャッターのカメラ」というモノがあることを実は知らないんじゃないかな。僕も知らなかった。現代の家電製品の日常的故障の連続にヘキヘキしてる人もいるだろうし、電気を無駄に使いたくないという人もいるかもしれない。だったら、この時代に「電気を使わないエコカメラ、機械式カメラ」として販売すると意外と需要があるかもなって。しかも、新製品でね。電気を使わないこと自体は決して古めかしいことじゃない。それはタイプの違いであり、非常時でも使えるカメラなだけだから。実際、機械式カメラは扱い方を覚えると、まったく不便なものじゃない。どうかな。

まあ、それくらい電気を使ったカメラが故障する感じは寂しいもので、僕はデジカメも数台持ってはいるけど、そのあたりの物悲しさをどこか抱えていたりする。かといってクラシックなカメラたちが未来永劫ずっと壊れないというのも考えづらい。機械式カメラで新製品が登場すれば、往年のカメラファンも、現代を生きる普通の人たちもけっこう選択してくれるんじゃないかと思うんだ。無理かな。できるといいな、そんな夢。

“iPhoneは綺麗に写りすぎるから、写ルンですで。”というのは分かる気がする。

写ルンですの人気を書いた記事で、若い人が写ルンですを好む理由に”iPhoneだと綺麗に写りすぎるんで”というニュアンスのことが書いてあったんだけど、とても分かる気がする。僕はカメラを始める前はずっとiPhoneカメラで写真を楽しんでいたんだけど、いちばん楽しめていたのは古きiPhone 3GSのカメラで、その後iPhoneが新しくなるたびにだんだんとiPhoneのカメラと疎遠になっていった。いま考えると、昔のiPhoneカメラは”綺麗に写りすぎない良さ”があったんだろうね。正確なことは分からないけど、どうだろう。

カメラの進化とはオートの進化と画質の進化だったんじゃないかなと思うけど、それはたしかにプロをはじめ写真に精巧さを求める多くのユーザーには刺さったのかもしれない。でも、写真の楽しみをもう少し引いて考えてみると、みんながみんな精巧さや利便性を求めてるわけじゃなくて、不便さが新鮮だったり写りすぎないところに味を求める人も一定数存在することを、この写ルンです人気再燃は気づかせてくれたように思う。

気がつくと、僕はiPhoneカメラからデジタル一眼レフを経てフィルムカメラへたどりつき、また今デジタル一眼レフと再会を果たしている。でも、ふたたび手にした一眼レフは画素数も感度も他の製品に比べたら控えめなモノたちになった。それは、僕が写真に求めるものが、あの頃のiPhone 3GSで撮っていた頃から変わらないのかもしれない。僕にとって写真とは、正確な記録ではなくて、どこか不正確なものも混ざり合った記憶なんだなと、あらためて。

カメラはやっぱりおもしろい。フィルムでもデジタルでもね。

こうして見るとカメラはほんと人みたいだな。今朝は台風明けの三連休最終日、朝から太陽が顔をのぞかせたんで、愛犬と散歩をすませた後、ひとりF2を持って散歩カメラに出た。休みの日の早朝の住宅地はとにかく静かで僕は好きだ。朝晩の斜めにさす太陽光も好きだ。

レンズは少し前に手に入れた28mm、フィルムは入りっぱなしのイルフォードXP2。しばらく撮り歩いて思ったのは、あれ?広いなあ28mm、広すぎる、ということ。といっても僕は28mmビギナーではなくて、過去2年ほどRICOH GRで広角28mmを撮りまくってきたわけで、どちらかというと28mm好きなはずだ。でも、GRの背面モニターで見る28mmと一眼レフのファインダーで見る28mmは全然違うんだよね、感覚が。

まあ撮り歩いた場所が住宅街で、広角で撮るようなシチュエーションじゃないこともあるんだけど、こりゃレンズの選択を間違えたと思った笑。でもこれも学び。カメラやレンズを買うことが沼なんじゃなくて、このカメラや写真の奥深さが沼なんだなとあらためて思う。ま、その奥深さがカメラをまったく飽きさせない魅力なんだけどね。そんなこんなでF2に28mm、35mm、50mmを装着して撮り比べてみたじぶんの感覚としては、ふだんの散歩カメラとしてはAuto Nikkor 50/f1.4を常用にしようかなと。あ、そうだ、まだF2でズーム43-86mmを試してなかったか。それはまた次週の楽しみということで。

僕はむしろデジタルでもフィルムのように周辺減光させられないかな、と考えている。

周辺減光。いわゆる四隅の光量が落ちる今でいうヴィネット効果みたいなものなのかな、僕は好きなんだよね、その周辺減光。でも、写真を正確に撮るという概念からすると”周辺光量落ち=周辺減光してしまう”という”劣る現象”のように語られることが多い。

この写真はフィルムコンパクトKonica C35で撮ったものだけど、とても自然に周辺減光していて、僕なんかはそれがフィルム写真の好きな大きな要因のひとつ。コンデジのRICOH GRで撮る時もエフェクト機能に周辺減光が調整できる機能があるから、好んで”周辺減光あり”をセットしている。

近ごろまたデジイチで撮るようになって、この周辺減光を意識するようになった。フィルム写真で撮るようになったから、なおさらデジタルでも自然と周辺減光させたいという思いがあるんだよね。でも先に書いたように、最新のカメラたちは”いかに周辺減光させないか”ということで技術進歩させてるから、普通に撮るとカメラが良かれと思って周辺減光しないように補正をかけてくれる。いやいや、僕は補正はいらないんだよ、むしろ周辺減光させたいんだよ、ということで今、Nikon DfとD300の機能メニューの中の「ヴィネットコントロール」を見ようとしている。選べるなら積極的に「補正しない」を選びたいと思っている。なんか素人丸出しの機能の話で恐縮なんだけど、僕はいつもJPEG撮って出しなんで、周辺減光させるなら撮る前にセッティングする必要があるんだよね。でも、どうだろう、周辺減光したほうが肉眼で見た世界に近いと思うのは僕だけだろうか。

今日も雨なので、Df×43-86の写真を整理してみる。

今週手に入れたNikonの国産初の標準ズームレンズ Zoom Nikkor 43-86mm/f3.5 Aiを、フルサイズデジタル一眼レフNikon Dfに装着して昨日試し撮りしたんで、その写真を少し載せておこうかなと。天気は台風前のあいにくの曇天だったけど、ひとまず雨があがったのは写真の神様のおかげだろう。

最初は感度100のマニュアルで撮り始めたけど、夕方の曇天で開放F値が3.5の43-86だと少し辛いので、感度400から1600まで徐々に上げながら撮ってゆく。じぶんの中で感度の上限を1600にしているのは、フィルムだとNatura 1600が上限だよなあというのがある。ちなみにAPS-Cデジタル一眼レフNikon D300を手に入れたのも実用感度1600が上限だったから。僕の場合はフィルムとデジタルをシームレスに楽しみたいから、レンズも感度も感覚はほぼ同じで使ってる。デジタルの恩恵をありがたく思うのはシャッタースピードが稼げることかな。それでもDfはssが1/4000秒までと控えめなスペックだから、1/2000秒までいけるフィルム一眼レフNikon F2とそれほど大きく変わるわけではない。

で、43-86だけど、とにかくコンパクトで軽量なのがいい。どうかしたらMF単焦点の標準や広角レンズとそう変わらない感覚で装着できる。その分シンプルな作りで写りのほうはそれほど期待できない…みたいな記事をネットで見かけたけど、僕程度の腕前の普通のスナップ写真なら全然OKな写りだなと思った。

このレンズは時代的にいわゆる直進ズームと呼ばれるもので、ズームを動かす時はズームレンズを前後に伸ばす。そして縛り輪とピントをまわすんだけど、これもやってみると直感的で自然にできる。僕はこのあたりにまったく古さは感じなかったな。

僕はいつもは28mm、35mm、50mmの単焦点が多いから、43-86mmもなんとなくズームであることを忘れてしばらく43mm付近ばかりで撮ってたんだけど、あっそっか!ズームだった!と86mmまでそろりそろり伸ばして撮るみたいなね笑。それでも、こうして思いたった瞬間にズームできるというのはやっぱりなかなか便利だなと。

モノクロームでも撮ってみたけど、考えてみるとこの時代、昭和38年登場のレンズならモノクロームのほうが相性はいいのかもね。僕のはAi仕様にされた比較的後期型の43-86だと思うけど、それでもモノクロームのほうがこのレンズは締まりがいい気がした。デジタルだと僕の写真がどうしてもアンダー気味になるところが大きく影響している気もするけど笑。

というわけでまずは43-86の試し撮りをしてみたけど、今度は晴れた日の朝夕にフィルムカメラのNikon F2とFEに装着して撮ってみたいな。なにはともあれ、こうしてフィルム時代のオールドニッコールたちを、デジタルとフィルムを意識せずに使えるのはほんと楽しい。オールドレンズなら入手価格もそれほど高くないしね。それでいて、半世紀ほど前の時代に想いを馳せながら写真が楽しめるんだから、これは楽しまない手はないと僕は思う。僕にとってオールドレンズたちとの出会いは、レンズ沼じゃなくてレンズ愛なんだよね。

雨の日は、部屋でカメラとレンズと妄想と。

台風の前ぶれか、外は少し強めの風と霧のような雨が混じる天気。早めに愛犬の散歩に出て、朝食パンを買って、観念したようにおとなしく部屋でカメラたちと戯れている。写真は昨夜届いたヨンサンハチロクをNikon Dfに装着してみたところ。なかなか精悍な佇まいだ。オールドレンズは楽しい。気がつくと僕もいくつかのオールドレンズを所有するに至る。50mmがAutoとAiの二本、あとは28mm、35mm、そしてこの43-86mm。これだけあればその日によってレンズを変えて気分を変えるという楽しみも十分味わえる。もちろん、外へ出て散歩カメラしながら写欲を満たすのがいちばんだけど、こうしてあいにくの天気の日は、部屋でカメラとレンズを眺めては妄想を繰り返す。撮る場所、露出、その時の風や匂い。まあ、それだけである程度心が満たされるんだから幸福なこと。フィルムカメラにデジタル一眼レフ、そしてオールドレンズを部屋にひろげて、さあ、妄想というイメージの中でどこに撮りに出かけようか。

文章を書くのが嫌いじゃないのは、学生時代に文章を褒めてくれた先生がいたからだろうな。

このブログ「記憶カメラ」もいつの間にか1,400話を超えた。こんな短めの文章の連続だからとても誇れるレベルではないものの、1,400回も書いてきたのかと思うと、書くの好きだなあじぶん、とも思う。じぶん的にはある程度の分量で文章を書いていいなら、大抵のことはほぼ伝えきれる自信みたいなのもどこかある。

考えてみると幼い頃は特に文章を書くのは好きでも嫌いでもなかった。それが、ある程度長い文章を書くのが苦じゃないというか、文章を書ける自信みたいなのものが芽生えるきっかけがあったとするなら、それは学生時代の経済学の試験の時かな。問題の答えがどうにも思い浮かばない時があって、でも試験時間はまだまだある時に、どうせ分からないなら答案用紙に何か経済に少しかすっている話題について、プチ小説というかコラムみたいなものを書いて提出しようと考え、実行に移した時があったんだ。たしか選んだテーマは武器輸出の問題が沸き起こったココム問題についての独自見解を解凍用紙の裏面いっぱいに書いた時のことだ。僕はといえば、試験の解答が分からないから、なかばヤケクソみたいな感じで書いたんだけど、それを当時の先生がマル(正解)にしてくれたんだよね。後から先生にマルにした理由を聞いたら、読んでいておもしろかったからと言ってたんだよね。子ども心にあの時は嬉しかったな。以来、コピーライターをめざしたり、企画書だけで相手に説得を試みたりと、文章をじぶんのアイデンティティにしてきたようなところが僕にはある。好きな文章家はそれこそボディコピーの上手いコピーライターや、流行りの村上春樹とかだったかな。もともと単細胞なところがあるから、小難しい文章は書けない。だったら、頭良さそうな文章より、リズムよく読みやすい文章をめざそうじゃないか!と考えていたフシがじぶんにはあるんだよね。考えてみると、あの日以来、文章を褒められることはなくなったけど、たまにTwitterなんかで文章の読みやすさ?みたいなのを褒めてくれる人がいる。それがたまに励みになってブログを書き続けるエネルギーになったりしてるんだ。おもしろいよね。

文章というのは、僕は生きてきた何かが滲み出る行為だと思っていて、そういう意味ではカッコだけつけてもすぐバレるんで、ある意味開き直って素直に書いている。このブログなんかは最たるもんで、このブログの中なんて誰に向けてもカッコつける必要はこれっぽっちもないから、とにかく本能に任せて即興でスラスラ書いてる。誤字脱字もけっこうあるけど、それも含めてその時の僕のあり様だから、よほどの間違いじゃない限り、書き直したりもしない。でも、だからこそ、なんとか続けられてるんだよね、ブログを書き続けるということ。

文章もちょっと写真に似ていて、キメすぎてもいけないし、読む人をナメすぎて簡単に書きすぎてもいけない。そのへんは何かしらほどよいポジションを意識してる。そういえば若い頃、小説家になりたいとか一応考えた時期もあったな。でも、フィクションを書くにしてもそれなりに書くテーマの必要最小限の知識はないといけない。それが想像以上にハードルの高いことだと気がついたのはほんの最近のことで、だったら平易で何気ない日常の思いみたいなのをブログにでも書いてみよっか、と思い至ったのがほんの2年前くらいのことだと思う。まあ、文章というのは上手いに越したことはないけど、日本人である以上、意味不明な文章を連発するほどおバカでもないだろうと心の中のどこかで考えているフシがある。だから、とりあえずリラックスしても書けてるとは思う。でも、そのくらいかなあ、気をつけてることは。おっと、昔話を思い出しながら書いてると、少し書きすぎた。上手いか下手かは別にして、文章に対する感想をたまにもらえると、それはやっぱり嬉しくなるんで、よかったらたまにひと言感想を寄せてください。そうすれば僕はひとまず体力的に書けなくなるまでは、懲りずに書き続けられると思うので。というわけで今日はこのへんで書き納め。おやすみなさい:)

ヨンサンハチロクがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ!

ビートルズの映画邦題を真似て申し訳ない。でもそれくらい嬉しいのである。なかなかお店で巡り会えなかったヨンサンハチロク、思いきってオークションで注文していたものが三連休を前に金曜夜に届いたのである。

フィルムニコンを所有する人にはおなじみだと思うけど、そうじゃない人は「は?ヨンサンハチロクって何?」という感じかな。そう、この写真のレンズのことで、フィルム時代のNikonが作った国産初の標準ズームレンズで、焦点距離が43-86mmというちょっと変わった数値だから、ヨンサンハチロクと愛着を込めてみんなに呼ばれている。ここ数日、偶然にもTwitterのファロワーさんの中にもヨンサンハチロクを手に入れられた方々がいて、このレンズの特徴なんかをツイートしてくれていたから、それもリンクで載せておきます:)

このレンズの誕生は1963年、昭和38年と僕よりより年上の年季の入ったレンズ。なんといっても見た目の特長は、このヒゲ?と呼ばれるカラフルなラインだろう。正直、独特の焦点距離以上にこのデザインに惹かれたところも大きい。詳しい特長はリンクを読んでもらうとして、ざっと読むに、とにかくコストを抑えて軽量で作られたレンズらしく、手に持った感触もMF単焦点レンズと変わらない軽量感で、期待した通りの身軽さだ。僕が手に入れたものはAiタイプなんで、手持ちのフィルムカメラNikon F2やFEはもちろん、デジタル一眼レフのNikon Dfでも簡単に使うことができる。ふだん僕はフィルムでもデジタルでも単焦点レンズばかり使っていて、望遠レンズはAF70-210mmを持ってはいるんだけど、もっと手軽に持ち出せるズームレンズが一本欲しくて、少し前からネットなんかで人気のズームレンズの情報を探していたんだよね。そこで目についたのがこのヨンサンハチロクだった。

まあコストを抑えたシンプルなズームレンズということで、写りのほうは特に名玉というわけではなさそうだけど、その控えめな性能と愛らしいフォルムでニコンユーザーたちには愛されてるところがあって、僕も同じくヨンサンハチロクがとても愛おしく思えた。でもふだんよく行くカメラ屋ではなかなか巡り会えなくて、ちょっと不安ではあったけどオークションで手に入れたわけである。週末に試し撮りしてみないと何とも言えないけど、ひとまず届いたレンズはなかなか程度もよくて、ヘリコイドもしっかりとした感触。いくつかあった出品モノの中から入札ものではなくて、少し高めの即決価格ものにして正解だったかもとひとまず取引にホッとしている。作例はまた今後のブログの中で追い追い紹介するということで。それにしても、オールドレンズはやっぱりいいなあ。当時の開発者たちの夢が詰まってる感じがして、手にするだけでもワクワクする。想像以上の写りだと嬉しいなという思いはあるけど、半世紀以上前のレンズをこうして安価で手にすることができる感慨だけでも、僕はとても意味があることなんじゃないかと思ってる。

明日から台風接近というニュースも気にはなるけど、三連休前にこうして念願のレンズが届いたわけだから、写真の神様は台風すらも進路をずらしてくれるんじゃないかと密かな期待をしている笑。撮る前のブログなんでなんだか性能説明や作例紹介もなく、気分だけの記事になってしまったけど、まあそれくらい嬉しくて思わずブログを書いたということで、ヤァ!ヤァ!ヤァ!