終わりか、始まりか。二眼レフ。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

同じ職場にいちおうカメラ好きの後輩がいて、いつもカメラを手に入れたりするといちおう報告するんだけど、きょうも何気なく二眼レフを手に入れたことを報告してみたんだよね。「ついに最後のピースが埋まった感じ。これでカメラを手に入れるのは終わりだな」とね。

そしたら、その後輩から思いもしない返答が来た。「いやいや、終わりというより、これ始まりじゃないですか絶対」と。え、始まり?何の?その発想は無かった、そんな感じだった。僕は別に茶化したわけじゃなくて、本当に素直に「これで本当に試したいカメラはすべて試した」と思ったからそう報告したんだけど、後輩からするとこらまた素直に「途轍もない始まり感」を感じとったみたいなんだよね。

たぶん、それは「まったく違う次元のものへまた手を出した」というような始まり感に見えたんだろうね。僕にしてみたらバルナックLeica IIIaの延長線上で手にしたつもりのRolleiflex Standardなんだけど、カメラ好きとはいってもデジタルしかやらない後輩なんかから見ると、35mmフィルムカメラの延長線上にはまったく思えない印象なんだろうと思う。そう言われれば、僕もNikon FEでフィルムカメラを始めた頃は二眼レフを使うことになるとは思いもしなかったかもしれない。Rolleiflexにほのかに憧れはあったものの、僕もまた中判カメラであり二眼レフは異次元の世界だと思ってたんだろうね。後輩から「終わりじゃなくて、始まりじゃないですか」と言われるまではそんなこと考えもしなかったんだけど、ふと、なるほどそうかもと。

そこから、後輩にRolleiflex Standard ならではの撮影所作(オートマット式じゃなくて、じぶんで赤窓を見てフィルムの一枚目をセットすることや、フィルム送りとシャッターチャージが別なこと、ピントを合わせるのにルーペを使うことなど)、またスキャニング代がえらく高価なことなんかを話すと、それだけ手間がかかってしかも割高って、それもう完全にやられてる人じゃないですか!と。たしかにやられてるかもしれない笑。でも、手がかかるもののほうが愛おしいとか言うと、納得しつつも苦笑いしてた。すぐ壊れる?昔のイタ車とかを、手をかけて維持してる、そんな感じで見られるんだろうなあ。まあ、ハズレではないけど。

いまのデジカメしか知らない世代だと、仕上がりの写真がよほど特有の良さでもなければ、この手間暇とコストがかかるものをわざわざ使う意味が正直、理解に苦しむ感じなんだろうね。先輩の僕に話を合わせてはくれていたけど、そんなことをふと思った。僕もまだ現像したものを見ていないのに、その撮影所作だけでこれだけ感動しちゃってるのは、やはりカメラ好きにしか分からない感覚なんだろうね。そっか、世間はそんな印象なんだ、ということにあらためて気づいた日なのであった。

使わないとカメラじゃない。

Leica M3, Elmar 50/3.5

僕がカメラコレクターならそれは悪いことじゃないんだけど、僕は別にカメラを収集するのが好きなんじゃなくて、カメラで撮る行為が好きなんだよね。Leica M-Pを手に入れたのはその究極で、その時にも手持ちのカメラを整理しようと考えたんだけど、まあしばらくはじぶんがどの程度それだけの数のカメラを使い回せるのかちょっと様子を見てみようと思った。そして、一、二カ月。そろそろ使わない(使えていない)カメラが分かってきた。

ちょうど半分かな、ほぼ使えずにいるカメラたちを中古カメラ屋さんに戻そうかなと思ってる。持っていればまったく使わないわけじゃないだろうけど、この出動頻度の少なさだととても「使ってあげることが最高のメンテナンス」というレベルには満たない。どれもまだまだ現役で元気に撮れるカメラたちだから、僕の部屋で眠ってしまうよりは、誰か若い人たちの手にでもわたり、頻繁に外へ連れ出してもらった方が、きっとカメラも長生きができる。飾り物のカメラとしてではなく、撮影機材としてのカメラとしてね。

どれも思い入れのあるカメラたちだから、ここではどれを残してどれを手放すという具体的なカメラ名は伏せておこうと思う。どれも飽きたとか嫌いになったというわけじゃなくて、単に僕が使いまわせなくなったということだけなんで。幸い、僕の過去のカメラたちの思い出は、このブログの中に詰まってる。カメラを眺める、カメラの思い出に浸るという意味においては、ブログをさかのぼれば時空を共有することができる。その名も「記憶カメラ」だからね。

残そうと思っているカメラはデジタルが3台、フィルムが3台と、ちょうど半分半分。いまの僕のカメラとの向き合い具合を象徴してる割合。デジタルとかフィルムとかじぶんの中に垣根が無くなった証でもあるかな。そのどれもを頻繁に使いまわしたい。意外とありそうで無い、じぶんの時間の相棒としては適度なカメラの数だと思う。これまで出会ってきたカメラは、所有したかったものというより、その写りや性能、手応えを確かめておきたかったものたちだから、そういう意味では人生の中で確かめることができて、ほんとよかった。どれひとつ欠けていても、いまの僕にはたどり着けなかったと思うから。GWが明けたら、一つ一つ中古カメラ屋に里帰りさせようかな。そんなことを考える四月の終わりの夜である。

未来は便利になることだっけ。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

ふとね、日曜日世の中の夜とはそういうことを考える。世は2018年。ついこの前まで20世紀だったのにほんと驚くばかりだけど、世界は21世紀になって、ITとインターネットの革命があらゆることを新機軸に塗り替えていってる。日々まるでオセロを一気にひっくり返すように変えていっている。電話に電話線はないし、調べたいものは重たい辞書を開く必要もなく検索一発。カメラはデジタルになって、今年国内のモノクロフィルムは姿を消す。とんでもなく便利にはなったんだろうな。僕らが思う以上に。でも、どうなんだろう。僕らが昭和の頃にワクワクして妄想していた未来とは便利になることだったっけ。便利という名の少し薄っぺらい時代になんかモヤモヤする日常。血の通っていない、なにかを忘れてしまったような感情。僕が昔のカメラやレンズに魅せられるのは、そういう忘れものを取り返しにいってる気がする。まあ、とはいえ時代は前に進むだけ。嘆いてもしょうがない。そこは古いことがいいことでもないから、バランスをとるだけ。変えていいものと、変えてはいけないもののバランス。歳をとってる分だけ何か得したことがあるとするなら、昭和という時代を生きたこと、知っていることかな。さて、そろそろ眠りにつくとする。じぶんらしい未来を妄想しながら。

夏を感じた週末ズミルックス。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

この週末は、ローライフレックス・スタンダードとニコンDf、そしてライカM-Pを連れ出すことができた。といっても、どこか絶景を撮影しに行ったわけではなくて、いつもの僕の暮らすエリアを散歩カメラしただけなんだけどね。それでもゆるりと楽しめるのがカメラのいいところだと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それにしても夏のような2日間だった。こんな時はどこか幻想的な写りをしてくれるズミルックス第二世代がいい。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それも開放付近。光のすくい取り方と独特のボケ方はズミルックスというレンズの真骨頂だと思う。カラーでもモノクロでもその幻想的な写りは変わらない。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

やっぱりオールドレンズはいいよね。綺麗に写るとか綿密に写るとかそういうことを超越した世界がある。それはデジタルカメラに装着しても感じる、僕は。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

デジタルライカのJPEGがオールドレンズと相性がいいのも気に入っている。ライカというブランドはたしかにこういうところには手を抜かない。それはバルナックライカ、M3の時代のこだわりともまったく変わらない、ユーザーに対する約束みたいなものなんだろうと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

さて、明日はいよいよ初のブローニーの現像出しだ。計4本、どれもきちんと撮れた感触は無いんだけど、まあこれも一つ一つ慣れていくための第一歩。そういう意味ではとても清々しい気分だ。カメラはいつも僕に新鮮さを注入してくれる。大げさではなくかすかに気づかせてくれる感じ。でも、それがとても心地いいんだ。

ローライスタンダードは、なぜか子供の頃を思い出す遊び道具感がある。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

ローライフレックス・スタンダードを手に入れてから初めての週末。ブローニーフィルムを装填するゆるやかな儀式を行ってから、年甲斐もなく無性にワクワクしながら試し撮りへ出かけた。自転車をこぐ足どりも異様に軽い。新しいカメラを手にした時に込み上げてくるエネルギーみたいなものはあいかわらずだ。

きょうも撮影のみなんで、作例はまだない。でも一昨日1本、きょうは3本ブローニーフィルムを撮り、少し慣れというかじぶん流の作法みたいなものは定まってきたように思う。まず、フィルム装填はもう全然平気になった。赤窓を見ながらフィルム1枚目までレバーを回す作業は小気味いい。赤窓を閉じたらフィルムカウンターを1に手動でリセットする。これも慣れた。

いちばん注意が必要なのがフィルムが多重露光しないように、撮影したら常に次のフィルム送りまでセットで操作しておくこと。これもレバーをストロークさせたらその合図としてレバーを反転させておくことにした。これでフィルム送りしたかどうかの忘却は大丈夫。あとはシャッターチャージして撮るだけだ。きょうはこのルールを設けたからあまり失敗はしていないと思う。

あとは露出合わせだけど、これもきょうはシャッタースピード固定で撮るのがいいなと分かった。どうせスタンダードは1/300までしかないから、無理をしないのであればSSは1/100固定がいい。それで撮る場所の光の差し込み具合で絞りを変えていきながら撮った。これがいちばん楽というか簡単に撮れるんじゃないかな。

それとファインダーだけど、前回は画角を決めたらルーペを出してピントを合わせ、また調整のために画角を確認するという工程を踏んでたんだけど、きょうは画角を軽く確認したらルーペを引き出し、ルーペでピントを合わせたらそのままシャッターを切るようになった。なんだ、顔をルーペに接近するくらい近づけたら画角の四隅まで確認できるんだという気づき。これだけでもずいぶん撮るのが素早くなった気がする。あとはそうだなあ、12枚撮り終えたらフィルム送りレバーを3、4回しか回さなくなったからこれも手早く。フィルムが送り終えると紙が抜ける感触があるから、それでいたずらに何度もフィルム送りレバーを回さなくなった。

どれもちょっとしたことなんだけど、これでずいぶんと撮ることに集中できるようになったんじゃないかな。というわけで、きょうは操作が容易になった分、二眼レフで撮る心地よさをより堪能というか、観察することができた。そうして思うは、二眼レフで撮るのは、実に玩具感があるということ。妙に子供の頃の遊びのような感覚を覚えるんだよね。虫眼鏡をのぞいたりするからかな、とにかく実験装置で遊んでいるような感覚になる。ほら、学研の付録に付いてたアノ玩具で遊ぶ感覚。だから、35mmフィルムカメラに比べて、写真を撮っているというより、写真と遊んでいるという気分がとても強いんだ。ウエストレベルファインダーだから腰を下ろせば地面を撮るのも容易。それをルーペでのぞいて撮るから、土遊びをしていた子供の頃の目線であることも大きいんだろうね。

あとはやっぱり真四角の独自のファインダーかな。これが35mmフィルムで撮っている時とは別物という感触を味あわせてくれる。何かで読んだけど、もともとは曖昧なファインダーゆえにトリミングすることを前提に四角サイズに設計されたらしんだけど、それがそのまま好まれてスクエアで使われてるようになったらしい。たしかに、この真四角で見たままの世界をそのままプリントしたほうがユニークだし、35mmフィルムにはないクリエイティビティがある気がする。そういうことすべてをひっくるめて、35mmフィルムカメラで撮る「写真」とは異なるモノを創造してる感じがおもしろいんだろうね。玩具としての子供心をくすぐられるところもあるけど、独特のファインダーはまるで絵本の中の世界にいるような感覚もある。上手く言えないけど、二眼レフとは記録装置というより、もっとエモーショナルな遊び道具体験なんだ。

この体験は言葉で表現するのはむずかしいな。少しでも興味のある人はぜひ一度体験してみてほしい。国産のものも含めてベーシックな二眼レフはずいぶん手頃な値段で手に入れることができる。フィルム代も現像代も35mmとは特に変わらない。それでこの新鮮な体験ができるのは、僕にはちょっと想像を大きく超えた気づきだったから。あ、もちろん、デジカメユーザーの人でもまったくむずかしくなく馴染むことができると思うよ。いろいろオートではないけど、とにかくシンプルだから。明日もう1本撮ったら週明けに5本をまとめて現像出しかな。一、二週間かかるのかな、でもそのゆったりとしたスピード感もまた子供の頃のゆるやかな時間の流れ方なんじゃないかと思う。

いっそバルナック買うほうがお得かも。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

たまたま見かけたカメラ屋さんのツイートの中でKonica C35の値段が二万円を超えていて、正直すこし驚いた。僕が一年前くらいに買った時の値段はたしか13,000円だったと思う。それもかなりの美品で、まるで新品のような個体だったんだけど。

それでもまだC35は値頃なほうなのかな。Nikon FM2なんかは僕が見かけるお店では45,000円ほどして、これも一年で一万円ほど高騰した気がするし、高級フィルムコンパクトと呼ばれるカメラなんかは10万円を超えてたりする。電子系統が故障したら直らないかもしれないカメラがその値段で人気があるのはかなり驚きなんだけど。

そうやって考えると、もういっそ、ライカでいいんじゃないかと。バルナックライカのIIIaとかIIIf。いまどうだろう、3万円とか4万円で手に入るんじゃないだろうか。レンズも足すと倍の値段になっちゃうかもしれないけど、ロシアンレンズのインダスターとかを装着すれば一万円もしないから、4、5万円あればライカの原点であるバルナックが手にできることになる。機械式だから修理し続ければフィルムがある限りきっと使い続けられる。それで、あの品質を体験できるならそれはもうお得すぎると言っていい。

考えようによっては、ほぼシャッター押すだけのC35のほうが手軽にフィルムを楽しめるとも言えるけど、カメラを操る楽しみでいえば、露出をじぶんで合わせて撮る機械式のバルナックライカは、クラシックカメラの醍醐味を存分に味わえる実はとても貴重な存在。まあ、こればっかりは人それぞれの好みだからあくまで私見なわけだけど、いろいろ高騰するフィルムカメラにおいて、いまバルナックこそコスパに富んだとんでもなくお得な一台なんじゃないかな。

ライカという響きはなんとなく敷居が高い気がするけど、バルナックライカなら世界が夢中になった名機のクオリティを、どうかしたら国産フィルムカメラ並みの価格で手に入れることができる。「いつかはライカじゃなくて、いっそライカ」と思ったりするんだな。どうだろう。

写真は好きだけど、趣味としては「カメラで撮る行為」が好きなんだろうな、僕は。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

思えばNikon D5300でカメラを始めてから、一度断捨離したりフィルムカメラで一眼レフを再開したりで、中判カメラまで来た。さっきローライフレックス・スタンダードのブログを書いていてふと思ったんだけど、まだ現像に出していないのにかなり高揚感というか感動の気持ちがある。これって僕は「カメラで撮るという行為」が好きなんだろうなとあらためて思ったりしたんだよね。

近ごろはフィルムも撮るし、デジタルも撮る。そこに変なこだわりはなくなったし、一眼レフかレンジファインダーかも言うほど僕の中では差はない。ようやくというか、その「カメラで撮るという行為、が好き」ということに行き着いた、そんな気がしている。その上で、できあがる写真まで気にいるものがあがればそれはもうボーナスみたいなもので、カメラを愛したことに対しての写真の神様からのご褒美みたいなもの。小っ恥ずかしいけど、そんなことを思った。

カメラで撮る行為が好き、ということになると、オートで撮れるものより自分でカメラを操って撮るもののほうが行為は濃くなるから、だんだんと機械式のものに惹かれていくのも分かる。だんだんと自分の本性というか、本能が欲する世界がわかっていく感覚は実に気持ちいい。たまに昔の自分のブログを読むと、その自分の好みがだんだんと紐解かれていく前夜みたいな気がして、あ、ブログに記しておいてよかったなと思ったり。結局、自分がいちばん分からないし、ミステリアス。趣味とは、そこを解き明かしていく行為なのかもしれないね。あらためて、いい趣味に出会えてよかったなと思う。とはいえ、できあがる写真もできれば上手くなりたいけど。

ブローニー初体験。きちんと撮れた気は1mmもしないけど、感動した。

Rolleiflex Standard, Fuji PRO160

我が家へやってきた中判二眼レフ、ローライフレックス・スタンダード。もちろん取説なんてないから、ネット記事やYouTubeの海外動画なんかを見ながら、まずはフィルム装填してみようと始めたんだけど、そうすると異常にファインダーの絵が見たくなり、結果一本だけ撮ってみた。もちろん現像はこれからなので、フィルム装填から撮影してみた感触だけ少し書いておきます。

まずフィルム装填。ブローニーフィルム未体験のひとがいちばん不安に思うのは、あの35mmフィルムとは違うなんともプロっぽい形に「素人には無理だろうアレ」と心理的壁みたいなものがあると思う。僕はそうだった。おまけに、ローライフレックスの中でもこのスタンダードはその後のオートマット(フィルム一枚目出しをオートで検出してくれる)仕様のものとは違って、いわゆる「赤窓」というのをのぞきながら自分で一枚目までフィルムを送り、撮影枚数カウンターも1枚目に自分で合わせる必要がある。こうして文章に書いても面倒くさそうだけど、ネット記事や動画を見てもなにやら難しそう。

んー、できるかなと恐る恐る装填を始めてみたんだけど、これが拍子抜けするくらい簡単にできた(ちゃんとできたかどうかは現像があがってみないと分からないけど)。自分でも思うのは、たぶん同じ年代の35mm機械式カメラであるバルナックライカのフィルム装填なんかを経験したから、それほど苦に思わないようになったんだろうなと。古いカメラを触るといつも思うんだけど、何事も実際にやってみると案外楽にできたりするもんだと。きょうはここまてで終わるはずだったんだけど、まあやはりというかファインダーの中の絵が見たくなって少しだけ外へ連れ出してみた。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

僕のローライフレックス・スタンダードには写真のような革ケースが付いていた。僕はふだんはカメラにケースは付けないんだけど、スタンダード本体にはストラップが付いていないんで、ストラップ代わりに革ケースを使うことにした。これまでのオーナーさんが大事に使ってくれたおかげで、革ケースもボディやレンズのコンディションもとてもいい。ありがたい。

フィルムカウンターを1枚目に合わせたものの、フィルム巻きレバーの位置が中途半端な角度で止まっていたんで、これでシャッターを切れば撮れるか不安になり巻きレバーを一度ストロークさせてみる(これで2枚目に送られたかもしれないけど)。で、お店で教わった通りファインダーを開いてまず絞りを決め、シャッタースピードを合わせ、ファインダーで画角を決めたら付属のルーペをせり出させてピントを確認、距離を合わせる。そして、シャッターチャージ。スタンダードはフィルム送りとシャッターチャージが連動していないから、別々に行う必要がある。この場合、フィルム送りを忘れてシャッターチャージだけして撮ってしまうといわゆる多重露光になる。多重露光するにはもってこいの機種とも言える笑。

で、この光景を撮ろうと思って一、二分経ってからようやくシャッターを切る。もっとかかったかな、慣れたら早くなるのかもしれないけど、少なくともバルナックライカのようにはサッとは撮れない。機械式のフィルムカメラにはずいぶん慣れっこのつもりだったけど、この二眼レフの作法は操作レバーの位置とかファインダーの覗き方とか含めてちょっと異体験というか、僕はしばらく使い込まないとサッとは撮れないなと思った。

でも、そもそもサッと撮るカメラじゃないんだろうなと思った。それは単に作法の話だけじゃなくて、ウエストレベルで眺めるファインダーの中の世界の幻想さなんかに見惚れながら過ごすその時間がとても情緒的でいい。急いで撮ることを一瞬忘れる感じとでもいえばいいかな。慌てて撮ろうと思わない。スタンダードのファインダーはたぶんその後のローライフレックスより暗いと思うけど、その曖昧さも含めてとても幻想的な絵を浮かび上がらせる。ルーペで見るとさらにハッとする。この世界にやられるんだろうな、中判クラスタの人たちは、と思った。

そうやって見惚れたり感動したりしながら一瞬時間を忘れて過ごすと、フィルム送りレバーを回したかどうかも忘れてしまう笑。だから、きょうの僕は多重露光したか、それとも撮らずに次の枚数へ送ってしまったか、とにかくきちんとは撮れていないと思う笑。次回への反省としては、シャッターを切ったらとにかくフィルム送りをしておく、これを一連の動作としてルールにしようと思った(参考に拝見したネット記事にもそう書かれた方がいたと思う)。

で、12枚でフィルムは撮り終わる。12枚を超えると枚数カウンターが赤の表示になるから、そこからフィルムを巻ききるんだけど、これがどこまでレバーを回せば巻ききったのかわからなかったから、僕はけっこうな回数巻いたと思う。でも、考えてみると二眼レフの場合(中判はみんなそうかな)、35mmフィルムのように0枚目まで巻き戻すのではなくて、空スプールに巻きつけていってお終いだから、12枚撮り切って赤い表示が出たらたぶんその後は少し巻くだけで巻きつけ終わるんだと思う。

ブローニーフィルム Fuji PRO160

で、裏蓋を開けるとこんな風に空スプールに巻きつけ終わったフィルムが出来上がる。先端についているシールを剥がして封をすれば現像出し用のフィルムの出来上がりだ。そうすると元のブローニーフィルムの空スプールが残ってるから、これを次回撮影するときのフィルム差し込みスプールとして活用する。この繰り返しというわけ。だから、初めて撮る時は空スプールが一本必要になる。カメラを購入した時にもし付属されていなかったらカメラ屋さんに言って空スプールを1つもらっておいたほうがいい。

というわけで、ひとまずフィルム装填から現像出しの前まではやってみたけど、どうかなあ、バルナックライカで初めて撮った時と同じくらい、ちゃんと撮れてる気がしないというか、変なドキドキ感がある。慣れないカメラの持ち方で手ブレもしまくった気がするし、露出やピント合わせも実にぎこちなかったし、まあ素人感満載だった。見た目は綺麗なスタンダードだけど、これも現像してみないと本当のコンディションは分からない。まあでも、初めての二眼レフ体験としては上々の感動があったと思う。きょうはわずかな時間だったから、あとは週末にもう少しじっくりとこいつと過ごしてみたいと思う。まだ中判未体験の人へ、ひと言。これは、この世からなくなる前に目撃しておいたほうがいい世界です、うん。

このコンパクトさはまさに小粋だ、ローライフレックス・スタンダード。

Rolleiflex standard

ローライフレックス。この響きはフィルムカメラを始めた頃からどこか気になる存在で、常に心のどこかに「いつかは」みたいに潜んでいたと思う。中古カメラ屋をのぞく度に必ず中判カメラコーナーも“一応確認する”みたいなね。そんな僕の前にようやくピンときた個体が現れた。それがローライフレックスの中でも小ぶりでひときわチャーミングな“ローライフレックス・スタンダード”だ。

たまたま立ち寄ったいつもの中古カメラ屋のショーケースに新たに加わっていたこのスタンダード。その横に並ぶ他のローライフレックスたちより明らかに小さくて、サイズ感的にはローライコードと同じくらいかな。けれど、カメラには何より軽快さを求める僕にとっては、このコンパクトさは最大の魅力に見えた。アール・デコ調のロゴも実に小粋で独特の存在感を放つ。

札を見ると委託品だったから整備のゆきわたり具合は気になったけど、見るからに綺麗なボディだったから、なじみの店員さんに頼んでショーケースから出してもらう。僕は知識的にカメラを見る目はないから、店員さんに程度や完動品かどうかなどをひと通り見てもらう。すると、レンズも綺麗だし、絞りやシャッタースピード、ピントなんかも小気味よく動き、シャッターも軽快に切れる。直感的にイケそうな気がした。

何よりウエストレベルで眺めるファインダーの中の世界にうっとりした。なんとも味のある光景がそこには浮かび上がった。これが二眼レフかと。これで撮ったら、現像しなくても世界が変わるような何かがそこにはあった。レンズキャップはなかったけど革ケース付きで、装着してみるとこれもまた品が良くカッコいい。ついでにと他のローライも触らせてもらったけど、佇まいやフィーリングは明らかにスタンダードが良くて。ここまで直感で良いと感じるのであれば、あとはもう実際に撮って確かめるしかないと。その場でブローニーフィルムも手にとり一緒に我が家へ帰宅することとなった。

お店の人に聞いたりネットで調べてみると、この「スタンダード」とは120フィルムになった最初のローライフレックス。レンズを見ると僕のはテッサーF3.5(1932年に発売された当初のものはf4.5とf3.8)だから後期型らしい。とはいえ、とても1930年代に登場したとは思えない小綺麗なボディとレンズ。革ケースについていた取っ手は短めでネックストラップとして首からぶら下げるわけにはいかないけど、どうせカメラバッグに入れて持ち歩くからそこは平気かなと。手に持って構えると、ピント合わせのダイヤルが左側についていて、右利きの僕には少しぎこちない操作に思えたけど、これも慣れだろうと。あとはきちんと写りさえすれば上出来の品に思えた。

ひと通り操作方法は店員さんに習ったけど、フィルム装填とか後の所作はネット動画なんかで調べるしかない。あとはもう実際に試し撮り、現像をしてみるまでのお楽しみ。Twitterでフィルムカメラつながりの人の中にも何名かスタンダード使いの人もいるし、中古カメラ屋の店員さんもいるから、何か分からない壁にぶつかってもなんとかなるんじゃないかと笑。あとは週末を待つのみ。あ、そうそう、ブローニーのリバーサルで撮るのがずっと夢だったんだけど、店員さんいわく最初は普通のカラーやモノクロで露出感覚に慣れてからリバーサルに移行していったほうがいいとごもっともなアドバイスをもらい笑、まずはFujifilmのPRO160というブローニーフィルムを購入してみた。週末まではひたすら眺めるだけの日々だけど、それでも心満たされるワクワク感がこのカメラにはある。僕の最後のピースが埋まった、そんな感覚の歓びがある。

世の中が素通りするようなものにファインダーを向けたい、みたいなのはある。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

Tweetするのもいいんだけど、やっぱりブログに記すほうが心落ち着く。文字数をコンパクトに詰め込み過ぎず、ある程度のらりくらり書けるのがいいんだろうな。あと、ひと階層奥の見えない場所でひっそり書いてるというのもいいのかな。

僕は写真もそういうところがあって、たぶん多くの人が見向きもせずに素通りするだろうなみたいな光景に心惹かれるところがある。パワーはないけどエネルギーは感じるみたいな光景。そういうものが好きだ。考えてみると、小さい頃から目立ちたいと思う反面、目立ちたくない、もしくはさりげなく良いみたいなことが心のどこかにあった気がする。とても矛盾するところもあるんだけど、スナップ写真とかブログとかはそういう微妙な塩梅をうまく内包した表現手段なのかもしれない。

とはいえ、それは撮り手の僕が心地よい世界であって、写真を見る人が心地よいものとは違うなという思いもあって、ブログにカメラや写真のことを記す以上、見る人の役に立てるような写真や文書をこしらえる努力をもっとしないとな、という思いも。写真が得意なわけでもなく、かといって緻密な洞察力で詳細を説いた文書が書けるわけでもない。ちょっと困ったなという感じなんだけど、ひとまず撮り続ける、書き続けることしか突破口を感じることができなくて、日々こうしてスナップを撮り、ブログを書いている。撮りながら、書きながら、模索中という感じかな。その思案は楽しくもあるんだけどね。