フィルムがいつまでこの世に存在するのか、というのはカメラ選びのたびに脳によぎる。

Leica M3, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

さっきのポストの続きみたいなところがあるけど。その手ごたえがありつつ絶妙な軽量コンパクトのカメラたちとなると、僕の場合レンジファインダー機が筆頭になってくる。その最たるカメラがLeica M3だったりするわけだけど、こうしたカメラたちを手に入れたり、もしくは今後手元に残していくカメラを考える時、ふと脳によぎるんだな。「ところで、フィルムはいつまでこの世に存在するんだろうか」と。

きょうもTwitterでAgfaのフィルムが最終販売というのを見かけたし、現にAcros100の再開に向けた再検討がなされているとアナウンスもあったとはいえ、国内唯一のフィルムメーカーも年々フィルム扱い品目を減らしていってる現実もある。もちろん、需要が大きく供給を上回るようであればフィルムはビジネス的に無くなることはないんだろうけど、世の流れからいえばデジタル化がますます進むことは否めない。このままいけば、フィルムが永遠にあるというのは考えづらいんだよね、やはり。

そうすると、フィルム機を人生永遠の友にするのはやはりむずかしいのか?とか、かといってデジタル機では何十年も使い続けるのはむずかしいぞ?とか、なかなか手元に残していくカメラ選びというのはむずかしかったりするわけである。僕だけかなあ、そんな風に思うのは。僕はどちらかといえば、これからはカメラを増やすというよりは、最後に残すカメラたちを絞り込んでいくプロセスに入ろうと思ってるんだけど、その時にこの「フィルムはいつまであるのか問題」みたいなものがふとよきるんだよなあ、いつも。

そんなことどうでもいいじゃん!いま楽しめることに集中すればいいだけ!とか言われそうだけど、なかなかそうも割り切れなくてね。だって、カメラは飾るものじゃなくて、使ってなんぼの道具だからね。けれど、この答えのない悩みは常にどこかにあって、カメラをやる以上はずっとこのテーマとは向き合っていくんだろうなと。ネガ、ポジ、ブローニー、ずっと使えればずいぶん悩みは吹っ飛ぶんだけどね。

カメラは軽量コンパクトであればいいというわけじゃないけど。

Voigtlander Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

僕もカメラを始めた頃は、カメラ=一眼レフという認識があって、割と大ぶりなカメラを「この重厚感がいいんだ」みたいに感じて使っていた。それでもフルサイズの中では軽量なNikon D750だったんだけど、標準レンズが24-120 f/4だったから、けっこうヘビー級なカメラではあった。

その後、そのヘビーさが嫌になったわけではないんだけど、カメラをコンデジのRICOH GRだけにしてしばらく過ごすことになる。たぶんこの時にカメラに対する価値観が少し変わったのかな。手軽に街に持ち出せてスナップできることが、僕の中でのカメラの理想像になっていった。

で、フィルムで撮るようになった今では、よく使うカメラはどちらかといえば一眼レフより小ぶりなカメラが多い。なんといってもコンパクトで持ち出しやすいのはフィルムコンパクトのKonica C35やRollei35。GRと合わせてこの3台は、ほんと荷物にならなくていつでもどこでも手軽にスナップ撮影が楽しめる。でも、じゃあ軽量コンパクトであることが最良かといえば、そうとも言えない。もう少し「手ごたえ」も欲しい、というのが僕の中での理想の軽量コンパクトだったりするんだ。

それがレンジファインダー系のカメラたち。ことし夏用カメラとして手に入れたBessa-LやコンデジのLeica X2なんかもそう。もちろん、バルナックIIIaやLeica M3なんかもこのクラスにあたる。大ぶりではなく、かといってコンパクトすぎるわけでもない、とても絶妙なサイズというのがこのへんのカメラたちなんだ。僕はここ数日間、Leica M3のことをあらためてジャストフィットなカメラだなと再認識してるところなんだけど、そこにはその絶妙なサイズと品質が高次元でバランスがとれていることが大きい。本格的な手ごたえを失わない、軽量コンパクトのギリギリの線を行くカメラたちとでもいえばいいだろうか。一度この絶妙なサイズに慣れてしまうと、大ぶりな一眼レフを持つことはむずかしい。僕はデジタル一眼レフも持ってるけど、Nikonフルサイズ機の中で最軽量のDfが今のところ許せる範囲内の一眼レフだと思っている。

もちろん、大ぶりな本格的一眼レフも時に使用する。Nikon F6やNikon D300なんかはそう。けれど、普段着のように持ち出しているカメラはといえばM3をはじめとするジャストフィットクラスのカメラたちなんだ。そう、カメラは軽量コンパクトなほどいいという気持ちはあるけど、最もコンパクトなカメラたちはサブで、メインはこのスナップシューター系カメラたちということ。一応、20台くらいの大小さまざまなカメラたちと付き合ってきた経験上からたどり着いた着地点みたいなものだから、案外説得力のある視点なんじゃないかと思う笑。

とはいえ、カメラは何が良くて何が悪いなんて論点のアイテムじゃなくて、じぶんにあったカメラこそが最良のカメラ。見るからに本格的なフラッグシップ系の一眼レフがいいという人もアリだし、中判カメラというのもまたアリ。逆に徹底してコンパクト機を楽しむのもアリだ。そういう意味ではサイズはあまり関係ないのかもしれないけど、だからといってこの絶妙サイズのカメラたちを放っておくのももったいない。レンジファインダー系カメラ未経験の人たちはぜひ一度、その「手ごたえ」なるものを味わってみてほしいな。なにかとんでもなくフィットする軽い衝撃みたいなものがあるから、きっと。

あらためてM3が好きになった夏休みだった。

Leica M3

Leica M3、このカメラは何なんだろうね。いろんなカメラを手にしても必ずここへ帰ってくるようなこの感覚。ちょっと他のカメラでは感じない何かを、このM3というカメラは持ち合わせている。

ことしの夏休み、僕はふとM3で撮りたいという衝動みたいなものにかられ、連日M3と時間を共にした。あのズシッとくる手の中の収まり具合、あの視界がぐっと開けるクリアなファインダー、小気味いいダブルストローク、チッとささやくシャッター音、フィルムで撮ることを強烈に感じさせるフィルム装填、もうすべてがね、脳によぎったというか、あの感触を思い出したんだよね、僕の写真欲がね。

夏休み最後の夜、まだM3の中には撮りきれなかったフィルムが入りっぱなしだから空シャッターは切れないけど、明日、現像出しするフィルム7本のうち4本はM3で撮ったもの。とても満足感というか幸福感に浸っている。きょうTwitterでふとつぶやいたんだけど、僕は本気で「もう一台、M3を買い足したい」と思い始めている。いまのM3が調子が悪いからじゃなくて、単純に好きすぎて二台のM3にプラナーとエルマーをそれぞれつけて、一日中M3と過ごす日があってもいいんじゃないかと思ったんだ。そんな風に思ったカメラはM3くらいしかない。二台あれば、一台がフィルム入りっぱなしでも、もう一台で空シャッターを切れるしね笑。

あと、M3を連れ出すのに相棒としていいなとあらためて思ったのが、二眼レフのRolleiflex Standard。M3でヒュンヒュン撮るスタイルから呼吸を変える感じとして、あ、スタンダードいいなって。これにデジタルのM-Pがあれば、僕はかなり待たされるとも思った。バルナックIIIaも好きなんだけど、IIIaは僕の中ではもう少し趣味的なカメラというか、やっぱりね、フィルムカットしなくていいM3は速写スナップ機という点でいえば、IIIaよりM3のほうが僕にはフレンドリーだということにも気がついた。些細なことかもしれないけど、そういうことも含めてベースとしてのカメラとしてはM3が実は僕には使いやすい、そんな風にあらためて感じた夏になった。

これはあくまで僕の感覚だからね、バルナックのほうがいいという人もいるだろうし、一眼レフのほうが本格的という人もいるだろう。でも僕がいろんなカメラを手にしてきてあらためて思うのは、「M3に始まり、M3に終わる」的なことだったんだよね。M3、ここがベース。ここを軸足に、時にデジタル、時に二眼レフ、時にコンデジ、時にフィルムコンパクトやフィルム一眼レフ、それがいいんじゃないか。そんな正解めいたカメラとの向き合い方が少し見えてきた。これがこの夏だけのことなのか、それともまだ何か新しい気づきが訪れるのかは分からないけど、ひとつの到達点みたいな思いとしてブログに記憶しておく。2018年、夏。

今日ちょっと確信したけど、僕はLeica M3とKonica C35がやっぱり好きだな。

Konica C35, Leica M3 + Carl Zeiss Planar T*2/50ZM

なんていうんだろうな、初恋の人たちというのかな。僕のフィルムカメラ人生のルーツ的2台、Leica M3とKonica C35。この二つのカメラのことをあらためていいな、と感じた日だった。

特別なことがあったわけじゃない、両親に会うのにKonica C35を持ち出し、ふと目の前の街並みをサッとC35で撮り、あ、いいな、この感じ、と。なにかを思い出すように撮ったその感触が、帰宅してからLeica M3を手に取らせた。しかも、レンズは僕がM3を手に入れた時からずっとつけていたCarl Zeiss Planar、この組み合わせがいいなと、目と手、脳が思い出したんだよね、何かをね。

夕方の愛犬との散歩は、この2台を持って出かけた。なんてことないいつもの散歩道を撮った。とても心地よかった。言葉にするのはむずかしいけど、あ、この感触だと思った。素のガラスのファインダーの中にフレームが現れて、サッと辺りを切り取っていく感覚。いつのまにかいろんなレンズやカメラが僕の元へ集まったけど、きょうははっきりとこの2台の、この飾らない撮り味が好きだなと確信した。

そうやって考えると、僕はフィルムを始めた初期に、この2台に出会ったことは大きかったんだろうなと思う。正直あまりこの2台のことは知らないまま、中古カメラ店で手に触れて直感的に手に入れたカメラたちだけど、その後手に入れたいろんなカメラたちがある中で、こうしてあらためてフィルムカメラを始めた頃の2台のことを好きだなと再確認できるのは、けっこう幸せなことなんじゃないかと思う。

じぶんにとって特別なカメラが少しずつだけど分かってきた気がしている。あと2、3台かな、かすかに絞り込まれている感覚があるけど、そこは急がず、じぶんが心の底から人生という貴重な時間を共にするカメラたちを選りすぐっていきたいと思ったりしている。手持ちのカメラたちをじっくり試した先にある、僕の記憶カメラのひとつの到達点としてね。

カメラでカメラを撮る、という付録的たのしみ。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

ここ数日、カメラを持って出かける時はできるだけ2台以上持ち出すようにしている。というのも、2台で撮り比べるたのしみはもちろんなんだけど、2台あれば「カメラでカメラを撮る」ことができるからである。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

そんなことしなくてもiPhoneで撮ればいいじゃないか?と言われそうだけど、そう、僕はふだんは愛機たちをiPhoneカメラで撮ってきた。それはそれで十分実用的なんだけど、実用的な写真が撮りたいんじゃなくて記憶的な写真が撮りたいんだな、できれば。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

きょうはRolleiflex StandardとNikon Dfを連れ出したんだけど、ここまでの写真3枚はDfで撮ったもの。やっぱり撮り慣れたカメラで構えて撮ると、どことなく人間っぽいカメラたちの姿を浮かび上がらせることができる、それがいい。この後、Rolleiflex StandardでDfも撮った。リバーサルで撮ったんだけど、どうだろうね笑。

Leica M3, 撮影はLeica M-P typ240 + Summilux 50

これはLeica M3をLeica M-P typ240で撮ったもの。Summiluxは1mまでしか寄れないけど、それがまた客観視するみたいで良かったりする。カメラでカメラを撮ると、やっぱり人間くさいなあ。

Nikon FE, 撮影はNikon F6 + 50/1.4D

この日はNikon FEをF6で撮った。逆も撮ったし、Asahi Pentax SPも持ってたから3台をぐるぐる回して撮りっこみたいなことしてたな笑。公園で撮ってたんだけど、もし誰かに見られてたとしたら、かなり変な人に見えたぢろうな。風景撮ってるんじゃなくて、カメラたちをぐるぐる回して撮ってるおじさんだから笑。

Leica M3, 撮影はRICOH GR

もちろん、カメラを撮ることが目的ってわけではなくて、複数台のカメラでひと通り風景スナップとか撮ってるんだけどね。大抵、組み合わせとしてはフィルムカメラとデジカメの2台。フィルムを1本撮り終えたらデジタルに持ち替える、その繰り返しみたいな撮り比べ。まあ実際はフィルムの写真は現像後のたのしみたから、その日こうしてブログなんかにあげられるのはデジカメのほうの写真のみになるんだけどね。

今週は、撮り終えたフィルムが今のところ4本。現像があがればそのうち何枚かは「カメラでカメラを撮った写真」がまじってると思う(あまり数えたり意識しては撮っていなくて、いつもついで的に撮ってる)。それもまた現像あがりを見るたのしみ。そうして思うのは、僕は写真を撮るのが好きだけど、それと同じがそれ以上にカメラのことが好きで、「カメラを撮る」ことが好きなんだよな。

きょうは一日、M型ライカの日だったな。ブライトフレームで切り取る日。

Leica M-P〈typ240〉, Leica M3

きのうKindleでライカ本を読んだからかな、きょうは朝の愛犬との散歩からM3を連れ出して、一度帰宅してからM-Pを足してから古い町並みを撮りに出かけ、夕方の愛犬との散歩もM-Pと。丸一日、M型ライカと過ごす日となった。

たまにあるんだよね、無性にブライトフレームをのぞいて撮りまくりたくなる瞬間が。それは同じライカでもバルナックやX2じゃなくてM型だし、一眼レフではなくてM型。M型ライカてしか得られない時間であり、撮影感覚。これは言葉で説明するのは少しむずかしい。

そうしていつも思うのは、M3というカメラの素晴らしさ。見た目以上にずしっとくる厳かな重さ。そのボディを手で包み込んだ時のなんともいえない本物感。1950年代に作られたとは思えない美しいファインダーの中の世界。M3で撮る世界は、デジタルライカのM-Pで撮る世界とまったく違和感がない。ちょっとフィルムカメラであることを忘れるくらいだ。

M3でフィルム3本をあっという間に撮り終えて、その後はM-Pで余韻を楽しんだ一日。緩やかな満足感に包まれてきょうが終わる。いい日だったな。さて、仕上げのRunへ出かけよう。

こうしてみるとよく似ている。夏用カメラ、Leica X2とBessa-L。

Leica X2, Bessa-L Snapshot-Skopar 25/4

ふと、直近で手に入れた2台のカメラを眺めていると、なんだかよく似てるなと。デジタルのLeica X2とフィルムのBessa-L、共通するのはその軽量コンパクトなボディと広角レンズ、そして頭の上にちょこんとのっかった外付けビューファインダーだ。

購入する時に特にこの共通項を意識していたわけじゃないんだけど、こうして手にしてみて思うのは、「僕は夏用カメラが欲しかったんだろうな」ということ。デジタルでいえばNikon DfやLeica M-Pほど重さを感じない、いかにも炎天下の下でもカメラを連れ出そうと思える軽快感。フィルムでも同じように暑い日でもガシガシタフに外へ連れ出して撮れるスナップ用カメラが欲しかったんだろうね。

こう連日猛暑が続き続くと、さすがにデリケートな設計の高機能カメラたちを連れ出すのはどこか億劫になるし、何より重く大きなカメラを首からぶら下げて灼熱地獄の街を撮り歩こうとはなかなか思えない。それでも軽やかなカメラがあれば、多少写真欲も増すんじゃないかな、という僕の潜在意識とさみたいなもの。それがこの季節にこの2台を手に取らせた要因なんだろうと思う。

Leica X2のほうは固定レンズは24mmだけど35mm換算では37mm程度になり、Bessa-Lのほうは25mm、まあどちらも僕にとっては感覚的には広角だ。このうだる暑さの中であまり考え込まずに、広角でサッと辺りの様子を切り取り、ピントも目測で大雑把にヒャンヒュン撮れる。そういう意味では、夏のラフなスナップカメラコンビ、ということになる。とはいえ、この暑さのなかではさすがの夏カメラコンビも日中に連れ出す機会は少なくなる。今はカメラに関しては、早く秋よ来い、そんな気分かな。今日も溶けそうな暑さ、カメラ関連本でも読んで静かに過ごそうかな。

久しぶりに不慣れな感じがたまらない。Bessa-L + Snapshot-Skopar 25/4

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

今週初めに訪れた出張先のバス停のそばにあったカメラ店で、思わず一目惚れしてバスが来るまでの実質3分間ほどで購入を決断したBessa-L。ひとまずボディだけ手に入れたものの、ファインダーやレンズのチョイスを一週間ほど悩み、今日ようやくこんな組合せで僕なりに出来上がったんで試し撮りに出てみた。(なので、まだ現像あがりの作例はない。ご了承を。)

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

レンズについては正直かなり悩んで、手持ちのLマウントのElmar 50mmやJupiter-8 50mmをつける選択肢もあった。実際、Twitterの中のカメラ好きの人たちからも、目測にある程度慣れてるなら50mmでもOKなんじゃないかとアドバイスもらったりもしたんだけど、そうだとしても外付けの50mmファインダーがいる。これがまずカメラ屋なとで見つけられなかったのと、他のカメラへの使い回しのイメージがうまくわかなかった。で、たどり着くところ、いちばん最初に注目していた広角レンズのひとつ、Snapshot-Skopar 25/4を選ぶに至った。

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

コシナ・フォクトレンダーがBessa-Lを出す時に同時に登場させてきた専用レンズのようなものだから、その収まりはやっぱり素晴らしい。僕はこのレンズを購入するにあたってこちらのブログ記事を参考にさせてもらったんだけど、この写真や記事を読んだ時にある種の衝撃を受けていて、最後はその強烈なファーストインプレッションに回帰したという感じ。この削ぎ落としたボディ&レンズ、そしてセットで売られた外付けファインダーの組み合わせの妙は、この「デザイン」のクールさだけで所有する価値があると思わせる。見事だよ、コシナ。

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

このSnapshot-Skoparは距離計非連動のレンズ。そもそもBessa-L自体が距離計がないカメラだから、それ向けに用意されたレンズもそういう潔さなわけで、他のボディで使い回す時はピント合わせと連動はさせられないけど、その分目測専用レンズとしてのこだわりも持ち込まれている。上の写真のレンズ下に見えるピントレバーが1m、1.5m、3mでカチッと止まることで、レンズの目盛りを見なくても距離が刻めるように設計されている。最短は0.7m、最長は無限遠、つまり五段階で手元を見ずに目測撮影が可能だ。

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

ピントレバーは実際に試してみても、これは使えるという小気味いいクリック感がある。これなら慣れればかなり実用的な機能として使えると思った。で、その25mmという世界なんだけど、これは僕には「ひたすら広い」と思った。僕のこれまでの経験でいうとズームレンズで24mmはたまに使うけど、単焦点レンズでは28mmがマックス、25mmの世界はなかなか未知の世界だ。今日、いつもの散歩道を試し撮りした感じでは、とりあえずいろいろ余計なものが写り込むなと笑。こらは間違いなく散歩カメラというより、街中のスナップ向きだろうね。けれど、ファインダーの見え方も明るくクリアで、1999年製とそれほど昔の設計じゃないからなかなか素晴らしい眺めを提供してくれる。この眺めは、街中ではかなりヤル気をそそるスナップシューターの視界だと思った。

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

まあでも、そんな性能云々より、このフォルムがヤル気をそそるすべてだと言っていい。この薄さ、軽量でコンパクトな身軽さ、とにかくスナップシューティングのために余計なものはすべて削ぎ落としましたと言わんばかりのフォルムは、スナップ好きの人々のハートを強烈に撃ち抜く理屈抜きの力がある。ライカ機とも富士フイルム機とも違う、Bessaだけが持つ価値観や思想がそこには色濃く宿っている。一週間いろいろ悩んだけど、最終的にSnapshot-Skoparを装着するに至ってよかったかなとも思ってる。あ、Super Wide Heliar 15mmも最後まで悩んだけど、僕は超広角の非日常性より、自然なスナップの視界の範疇であること、そして他のボディにも使い回したくなる焦点距離としてSnapshot-Skoparをチョイスした。とはいえ、ここでも最後はデザインが決め手になったかな、やはり。それくらい、Bessa-LにはこのミニマルなSnapshot-Skoparのデザインはよく似合う。

Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4

シャッターフィールも機械式ゆえに気持ちいい。スパンスパン撮れる感じはバルナックに似てるかな。あと使わないだろうと思っていた内蔵露出計が意外と便利だという気づきもあった。露出計を見ながら絞りやシャッタースピードを一段、二段と調節するのも片手で軽快にできるし、あと必要なのは僕の目測センスだけかな笑。試し撮りの現像が上がってきたら、そのへんのBessa-Lの癖みたいなものもいろいろ確かめていきたい。

それにしても1999年というそれほどカメラが原始的ではない時代に、距離計なし、ファインダーなしの孤高のカメラとレンズを出してきたコシナの潔さはある意味、感服というか、そういう姿勢はめちゃくちゃ男前でかっこいいなと思った。ここまで突き抜けると、きっとBessa-Lユーザーでファインダーなしでスナップしてる人も結構いるように思う。それもアリだなと思わせる究極まで削ぎ落としたクールさがこのカメラにはある。もう便利さみたいなものとは真逆をいくカメラだけど、そういうところに惚れるんだよ、男は。街を徘徊しろよ、男だろ、と脳天をガツンと撃ち抜かれるカメラ、それが僕の中のBessa-Lのファーストインプレッションだ。というわけで、ひとまず使用感のレポート、作例はまたそのうちに。

朝陽の中で、機械式カメラたちと深呼吸する。

Leica M3+Elmar M 50/3.5, Nikon F2+Auto 50/1.4

8月の初めの土曜日の朝、無性に機械式カメラのシャッターを切りたくなり、二台のカメラにフィルムをつめて愛犬と散歩へ。やんちゃな愛犬のリードを片手で持ちながらのマニュアル撮影はなかなか大変なんだけど、愛犬がいるからこうして散歩カメラに出かけられる幸福でもあるので、なんとか愛犬をなだめながら撮り歩いてきた。

F2のほうは36枚撮り終えた。なんてことない散歩道、わざわざコストや手間のかかるフィルムで撮る必要があるのかというのはあるんだけど、この場合の撮影は撮りたいものがあるというよりフルメカニカルシャッターを切りたいということが動機だから、僕的には十分満足できる。

F2の少しグニャリと生き物のような感触のフィルムの巻き上げはいかにも人間的だ。そして甲高い金属的なシャッター音が静かな休日の朝の住宅街に響く。いかにもプロ機らしい重厚な手応えは、散歩カメラとはいえヤル気をもたらす。そうして、カメラをM3に持ち替えると、一気に真逆の静寂がおとずれる。フィルムの巻き上げもシャッターフィールもひたすら静かだ。明るくまばゆいファインダーをのぞき、両目をあける。すると景色の中にブライトフレームと花々たちが浮かび上がる。最高だなあと心の中でつぶやく。やっぱりこのフィーリングはフィルムカメラの、機械式カメラだけがもたらしてくれるよろこび。カメラは撮る道具だけど、それを超越した心を満たす何かがあると今朝も感じ取る。

Leica M3というカメラが特別な存在であることは間違いない。

Leica M3, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

カメラやレンズが増えていくと、それと反比例するように「この中からどのカメラが手元に残っていくんだろう」と考える。僕はそうだ。で、いつも思い浮かぶのが、このM3の存在なのである。あの見た目以上にズシリとくる重さ。あの金属であることを忘れさせる生きたしなやかさのフィルム巻き上げの感触。そして、シャッター音というよりはシャッターのささやきとも言えるコトッという響き。1950年代のものとは思えないクリアな光の窓枠を見ているかのようなファインダー。からだの奥底から記憶しているようなあの感触が、時に無性にM3で撮りたいと僕を刺激し、そのたびに底蓋を開けてフィルム装填する独特の儀式へと僕を誘う。僕の手元にはかなりの数のカメラが揃ったけど、その中でも特別なカメラと言われれば、このM3になるんだろうなというのを再確認する。

僕が50mmという焦点距離を好むのも、このM3のせいであることは間違いない。スナップを好む人は比較的、焦点距離35mmをメインとすることが多いと思うけど、M3を使っている以上は、おのずと50mmが日常のフレームになる。同じフィルムライカでも35mmで撮れるM2を手にしていたら僕のカメラ人生はまた少し違ったものになったかもしれないけど、M3を手にしたことはある意味運命だったんだろうと思う。

M3以降、手に入れたカメラたちのほとんどは50mmのレンズをつけている。28mmや35mmのレンズも持ってはいるけど、気持ちよく撮れるのは50mmだし、そこには常に50mmのブライトフレームのアノ感覚がある。とはいえ、理屈的に書くとこうしたいくつかのM3を特別視するポイントがあるけど、実際にはそれらのすべての要素が説明しづらいくらい合わさりあって、特別な存在感とM3で撮りたいという衝動を生み出す。僕は今、いろんなカメラやレンズを試してはいるけど、最終的にはこのM3を核としてバルナックIIIaとデジタルライカM-P〈typ240〉が手元に残るんじゃないかな。つい先日、Bessa-Lを18台目のカメラとして迎え入れたばかりだけど、ここ数日間、ふとそんなことを考えている。衝動買いの反省かもしれないけど笑。