僕はフィルムを入れてクラシックなカメラで写真を撮ることが好きだ。けれど、そんなフィルムもだんだんとおなじみの銘柄が姿を消し、残るフィルムたちも値段が高騰している。
国内でいえば今やフィルム販売会社は富士フイルムのみで、この3月であのPRO400Hも出荷を終了(たしか135フィルムがこの3月まで、120フィルムが2022年3月までだったと思う)のアナウンスがあり、いよいよ入手可能なフィルム銘柄もわずかとなってきた。
この流れを受けて、フィルム販売から徐々に手を引く富士フイルムに対して「もうFUJIFILMには期待できない」とか「FUJIFILMにはがっかり」みたいな声をTwitterの中なんかでもたまに見かけるんだけど、本当にそうだろうか。
僕個人的には、FUJIFILMのむしろ本気を感じている。世は完全にデジタル時代だ。カメラの世界に関わらず、例えばクルマが電気自動車化するように、世の中のありとあらゆるモノがデジタル化するこの流れの中にあって、カメラや写真の世界だけがアナログな世界にとどまるということはあり得ない。それをFUJIFILMは感傷に浸るのではなく、しっかりと真正面に受け止めつつ、それでもフィルムの良さとデジタルの共存という奇跡のような世界の確立に本気で取り組んでいる、そういう企業だと僕には写っている。
そう、あのFUJIFILMのクラシックな操作系のデザインと、フィルムシミュレーションだ。最近の僕は、この二つの組合せに本当に魅せられている。フィルムカメラにフィルムを装填するように、毎日FUJIFILMのカメラに、その日の気分にあわせてフィルムシミュレーションという名の現代のフィルムを装填している。そして、ダイヤルをカチカチと回してシャッターを切っている。そうやって出てくる写真は、僕の中ではフィルムカメラで写真を撮る感情と同じ歓びを感じることができている。決して大袈裟ではなく、本当にそこに歓びを見出せている。これって、けっこう凄いことなんじゃないかなと再認識してるんだ。
そして思うんだ、FUJIFILMは本気だと。僕らのようなアマチュア写真愛好家の趣味の世界の継承に、しっかりと向き合ってくれていると。フィルムで撮るあの感覚を楽しみ続けたいと考えるクラシックカメラファンの期待に、デジタルでしっかり応えようという道を彼らは選択し、そこをどこのカメラブランドよりも突き詰めていると僕は感じるのである。(下の記事は、そんな富士フイルムの精神性を、おなじみ上野さんが説明されているので、ぜひご覧を。)
それはやはりフィルム販売会社としての意地でありプライドなんだと思う。僕がいま、FUJIFILMを好んで使うのはその姿勢に激しく共感していることが大きい。FUJIFILMが指向する「デジタル時代のフィルム写真の楽しみ」をもっと知りたいし、理解したいという思いもあって、日々FUJIFILMのカメラとフィルムシミュレーションで写真を撮っている。フィルムは終わりではない、フィルムはむしろ新しい時代に突入してるんだ。その果敢な挑戦を一緒に楽しもうじゃないか、そう考えている。