時にひとは理屈では説明できない行動をとる。例えば、このフルサイズミラーレス本格時代の到来の真っ只中にあって、孤高の一眼レフ機を手にするような。
僕にも迷いが無かったとは言わない。世の中の流れでいえば、いま新品で買うカメラとしては間違いなくミラーレス機のほうがまっとうだし、スマートな選択だろう。
でも僕はコイツを手にしたかった。一眼レフ機というよりも、PENTAX K-3 Mark IIIという道具と対話したいと思ったのだ。
コイツの良さは、まだ手にしたばかりの僕が語るより、カメラ界、写真界の大御所の方々の言葉で感じてもらったほうがいい。
事実、僕はこの四人の方々の動画に触れて、最後はK-3 Mark IIIを手にすることを決めた。四者四様で語り口は異なるけど、すべての方の根底に流れるエモーショナルな部分に心打たれたんだな。
そりゃメーカーが発表したプロモーション動画だから、良いことを言っているという面はあるだろう。けれど、この四人の写真家の方たちの言葉には、お世辞ではない感情を僕は感じるんだな。愛かな、これは。
PENTAXを愛する人たちって、ある意味ニコンファンより(僕もその一人だと思うけど)も熱烈な印象が僕にはあるんだけど、その意味がちょっと分かるというか、単なるスペックや先進性とかじゃない部分で、PENTAXとペンタキシアンたちの絆は熱く結ばれているんだなと感じる。
PENTAXを送り出しているリコーは、まず「光学ファインダーにこれからもこだわり続ける」と宣言し、さらに先日「工房的ものづくり」を志向すると発表した。
こうした発言のなかに、PENTAXとGRには、他社とは少し異なるクラフトマンシップのようなものを僕は感じずにはいられない。
だから、ちょっと大袈裟にいえば、PENTAXとGRに賭けてみたいと思ったし、人生をこの二つのブランドと歩んでみるのも悪くない、いやむしろ共に生きてみたいと思ったんだよね。
そうそう、僕は実はボディのK-3 Mark IIIだけじゃなくて、このLimitedレンズにも惚れたんだな。いや、素晴らしくカッコいい。このレンズがあって、僕の中ではK-3 Mark IIIは完成する。
いやあ、まったく感覚的なことばかりで恐縮だけど、写真を撮ること、その道具を選ぶことは、僕にとっては感覚的なことこそが最重要ポイント。
K-3 Mark IIIとLimitedレンズを少し触れた感じでは、僕の選択は間違いなかったと思える。それほどまでに、コイツたちは官能的で情熱的だ。
GRユーザーでもある僕にとって、このK-3 Mark IIIと出会うことは必然だったのかもしれない。
追記)もうお一人、素晴らしい動画を拝見したので、そちらも紹介しておきます。山内悠さんの月の光で撮るシチュエーション、ゾクっとします。
写真とカメラと没入する時間。いいな。
◎撮った写真は、また次の機会に。