カメラへの思い

カメラは器用に使い分けないほうがいい、かもしれない。

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RICOH GR

何が言いたいかというと、例えば僕の場合だと週末に一眼レフで写真を楽しむことをスタートしたのだけど、しばらくして平日もスナップ撮影を楽しみたいからとコンパクトカメラを手に入れたんだけど、そうするといつの間にか「一眼レフはストリートで撮るカメラではない」という烙印をじぶんで勝手に押してしまう、ということ。

いや、実際、街中でスナップ撮影するならコンパクトなカメラが適任だという考えは変わりないのだけど、それによって一眼レフでストリートを撮るという体験とか、そうやって得られる気づきや可能性を僕はずいぶん逃しちゃってるなあと、ふと思うのである。

ボディの性能もさることながら、一眼レフのレンズの意外性や可能性なんかを引き出したりするなら、例えばPENTAX K-3 Mark IIIとDA 20-40mm Limitedなんかも都市の雑踏の中なんかでシャッター切ってみるべきなんだけど、ついつい「ストリートスナップはGR」みたいに思い込んで、来る日も来る日もGRで撮ってしまうとか。

FUJIFILMのカメラなんかでも、僕はコンパクトなX100VやX-E4も持っていることで、本来ストリートでもっと撮ってやったほうがおもしろいであろうX-Pro3が週末の静的な自然を撮るカメラになってしまっていたり。いや、それもこれも僕が必要以上に複数のカメラを使い分けしてしまっているのが悪いんだけど、このあたりの「使い分け」をちょっと捨ててみたいなあと思ったり。

いちばん潔いのは、カメラとレンズを極端にいえば「ワンセットだけにしてしまう」ということなんだろうけどね。そもそも、カメラとレンズがワンセットしかなければ、近所のスナップからストリートのスナップ、自然撮影までそのカメラ一台で撮るしかない。使い分けるという発想すら浮かばないし、そうすることでカメラとレンズの意外な可能性に気づけたりする。

PENTAX K-3 Mark III, HD PENTAX-DA 20-40 mmF2.8-4ED Limited DC WR

というのも以前、所有していたデジタル一眼レフなんかをすべて手放して、カメラはRICOH GRだけで過ごした一年間があるんだけど、まあほとんど困ることはなかったし、その一年間でGRの癖をかなり掴んで、それこそ肉体の一部みたいに昇華させることができた気がする。

まあ、その後にフィルムカメラと出会って、今みたいな「試したいカメラの世界が盛りだくさん」みたいになってしまったのだけど笑、そんな多彩なカメラを持ち替える楽しみがある一方で、少数精鋭のカメラとレンズを深める楽しさもやっぱりあると思うんだな。

新しいカメラが登場したりすると、カメラ業界の盛り上がりも期待して当然注目するんだけど、かといっていま使っているカメラが新鮮で無くなるという意味ではない。というか、今使ってるカメラのまだほんの一部しか試せていないことがほとんどで、そんな新たな気づきを引き出すような使い方ができれば、たぶん一生かかってもまだまだ新鮮な気持ちでそのカメラと過ごすことができる。

それは、カメラの先にある「写真」こそが目的であり歓びである、というカメラという道具の楽しみ方の最大の特徴。いままでにない写真と出会いたいなら、いままでと違う使い方でカメラと接してみる。そんなことを、今さらながら考えている今日この頃である。

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