Leica M8

カメラがあれば、移動はけっこう楽しいもんである。

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Leica M8, Summicron 50/2 1st

過去にも何度も書いてるけど、僕の場合は外出する時はほぼ100%、なんらかのカメラを持って出かけている。撮影が主目的じゃない外出のほうが多いから、どうかしたら一枚もシャッターを切らない日もある。その場合、カメラはカバンの中のオモリと化すけど、そらでも必ずカメラは持ち歩いている。

で、何を撮るかといえば、なんてことないその辺の街の光景である。ほんとになんてことなさ過ぎて、たまに一緒に移動してる知人らから「え、ここ、なんかシャッターチャンスですか?」と不思議がられる。そう、普通の人は道端のカブとか撮らないのである。

Leica M8, Summicron 50/2 1st

いや、僕もそれらを見てシャッターを切ると判断した理由を述べよと言われると、正確に答えられそうにはない。ただ「あ、なんかいいな」と無条件反射のように感じてシャッターを切るわけである。

そういう意味では、考えて撮ってるというよりは、とりあえず撮った時はあまり理由は考えてなくて、撮った後に写真を見ながら考えている、という順序のように思う。ほんと、カメラをちゃんとやってる人には怒られそうだが、割とそんな感じで僕はシャッターを切っている。

Leica M8, Summicron 50/2 1st

特にふだんあまり行ったことのない場所、通ったことのない道は、カメラ脳がモリモリと元気に動き出す。カメラがなければおそらく素通りするようななんの変哲もない道だ。けれど、カメラがあると些細な色や形、光や影の交錯、そこで生活する人の気配みたいなものが次々と頭の中のアンテナに引っかかってくるのだ。

この現象に名前をつけたいが、なかなかこれといったフレーズが見つからない。でも、この目線や視野の広がりは、間違いなくカメラを持ち歩いている恩恵だと確信している。カメラはさながら街中の虫眼鏡のようなものなのだ。

Leica M8, Summicron 50/2 1st

別に誰に見せるわけでもないが、なんか街中の虫眼鏡で発見した小さな小さなシーンを、世界の片隅の目撃者として写真に撮っておこうと思うのだ。

そうやってなにげなく撮りためた写真を後から眺めるのは、とても心穏やかになれて心地いい。たしかに、その日、その時間、その場所に僕はいたのだ、というような自分的証拠写真とでも言おうか。かといって、スマホで同じように撮るかといえばそれはない。カメラが僕に撮らせるのだ。

Leica M8, Snapshot Skopar 25/4

とにかくそんなだから、僕の場合は移動時間がそれほど苦ではない。仕事で移動する時なんかはちょっと気持ちが重苦しい時もあるのだけど、カメラでスナップを撮りに行くようなもんだと発想を変えると、逆な出かけるのが楽しくさえ思えてくる。

これには、僕が「大のシャッター好き」という点も大きいと思われる。もちろん、いい(好きな雰囲気の)写真が撮りたくてシャッターを切るわけだけど、それよりもなによりも「シャッターを切りたい」というモチベーションがある。シャッターを切るあの瞬間がこの世のなによりも好きなのだ。

まあ、普通一般の人からは理解されようのない嗜好だが、それが嘘偽りない僕とカメラの関係だ。そして、カメラのそうした効能のようなものを知ってから、間違いなく人生の時間の過ごし方は豊かで穏やかなものになった。そう、なんてことない移動時間すらも。

カメラを単なる「写真を撮る道具」と位置付けてしまうのはとてももったいないような。カメラには人間の本能に作用する、なにかしらのパッション創出性能が秘められていると近ごろ本当に感じるのである。

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