FUJIFILM X-Pro3

X100シリーズとX-Proシリーズは、やっぱりちょっと特別なんだよね。

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FUJIFILM X-Pro3

X-Pro3というと、隠し背面モニターの印象が強くて、とかく変態カメラみたいに連想されがちだけど、まずもってはその根本的立ち位置というか「X-Proシリーズ」のほうが重要なんだよね。使い手の心理としては。

僕もX-Pro3を手にするまでは初代機であるX-Pro1を使っていて、それはいまでも所用している。シャッターフィールについてはX-Pro3よりもX-Pro1のほうが好きなくらいで、そういう意味でいうとX-Proシリーズに魅せられているんだと思う。

X-Pro2をいまも全然現役で使っている人もいるし、背面モニターが普通にある分、趣味の域を超えた本格的撮影機材としてならX-Pro2を使っている人のほうがまだまだ多いかもしれない。僕はX-Pro2は使ったことないけど、そのなんとも艶かしいブラックペイントの存在感に何度も購入未遂をしたことか…。

レンジファインダースタイルという点でいえば、本家のM型デジタルライカで二重像を合わせて撮るほうがいいんじゃないかというのは確かにあるけど、ライカというのはどこか厳か過ぎてラフに振り回せない感じもある。僕が貧乏性なのかもしれないが。その点、X-Proシリーズは値段も法外ではないんで、使い倒せる感がやはりある。

いざとなればEVFに切り替えられること、AFによる速写も選択できること、電子シャッターならかなりのハイスピードで撮ることができるなど、言うなれば最新のミラーレス機でもあるから、そういう意味での汎用性も実は高い。変態カメラというより隠れ優等生カメラでもあるのだ。

そんなX-Proシリーズをさらにシンプルにして使えるのが、レンズ固定式のX100シリーズだ。こちらも僕は現行X100Vと共に初代機X100も所有して、いまだにたまに使っている。さすがにX100のほうは動作も緩慢ではあるけど、写真機としてスチル撮影する分には特に問題ないし、現行機のX100Vにいたっては「これ一台で人生はOK」というくらい万能だ。

FUJIFILM X100V

結果、写真機だから「写真が思い通りに撮れやすいか?」というところが最後は効いてくる。そうなった時に、FUJIFILMのX-ProシリーズとX100シリーズは、フィルムカメラ時代の趣のある撮影体験を感じながら、しっかりと先進技術を用いた精巧な写真がスマートに撮れる。まさに、この二つのシリーズのカメラが人気たる所以だろう。

世界的な材料不足なんかもあって、X-ProシリーズもX100シリーズもなにかと品薄で、世代交代の流れもあってなかなか潤沢に在庫が無いように見受けられる。それゆえに値段も下がるどころか維持、もしくは値上がりしているくらい。動画全盛で手ぶれ補正を載せたカメラが主流のなかで、この二つのシリーズがあいかわらず人気であることはかなり興味深い。

まあ、こうして文章でその良さを説いても、触ったことのない人にはなかなかその良さがピンとこないと思うんで、これはもうお店で遭遇してもらって、とにかく操作して、シャッターを切ってもらうしかない。ただ、シャッターを切ったが最後。もうコイツとストリートを共にしたいという感情がどっと溢れ出すとは思うけど…。

付け加えるなら、不思議とこの両シリーズのカメラで撮っていると、センサーサイズなるものを忘れてしまう。フルサイズじゃなくてAPS-Cであることが手の中でジャストフィットするサイズ感などをもたらしていることもあり、気分はフィルムカメラで撮っている感覚にとても近いのだ。後発の富士フイルムが当時、APS-Cセンサーサイズをチョイスしたことは、とんでもなく大英断だったと思う。

X-ProシリーズもX100シリーズも、そろそろ後継機が出てくるタイミングなのかな。とはいえ、新型機が出ても前機種なんかが古く感じないのも、この両シリーズの良さではないだろうか。おそらく今後は高画素化されるのではと考えると、現行機種やそれ以前のモデルを選ぶというのは全然アリだと思う。時を重ねるのが似合う国内産の貴重な存在でもあるからね。

カメラは道具である以上性能も重要だけど、それと同じかそれ以上で「気持ちをフルで投入できるか」という心持ちが大切だ。愛するカメラで撮れば、愛する写真が撮れそうな気がするその感覚は、けっこう侮れない最高性能なのだ。X-ProシリーズとX100シリーズは、そういう愛着がわく要素が色濃い。ぜひ、その一端を実物を触って確かめてほしい。惚れ過ぎない程度に…。

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