カメラへの思い

大人のいい趣味を探しに、カメラ屋へ行こう。

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僕の思い出のカメラでもあるNikon D750

僕のブログをのぞいてくれる人は、そもそももう大人のいい趣味としてカメラを楽しんでる人だとは思うけど、たまたまこのブログにたどり着いた人のために、きょうはちょっとカメラという趣味のことを書いておこうと思う。

まず、当たり前だけど大人は割と忙しい。大抵の大人は仕事をして対価として給料を貰い、じぶんや家族の日々の生活を支えている。

デスクワークだと体も鈍ってきて、スポーツジムなど通おうと思ったりもするけど、なかなかジムへ行き来する時間もままならない。カラダどころかアタマの中もいろんなストレスを抱えながら疲労困ぱいだったりするのだ。

若い頃はあんなに大人になって自立したいと思っていたのに、人生はそう甘くない。若い頃にできるだけ好きなことを夢中になるくらいやっておけ、というのはそういうことである。

そんな時間も心の余裕もないなかで、何を大人のいい趣味なんかにできるもんか、というのはたしかによく分かる。そんな時間がわずかでもあれば寝ていたいし、また明日、重たいカラダをなんとか引き摺りながら仕事場へと行く体力や気力を少しでも温存していたいと考える。

いやあ、よく分かるし、なにより数年前の僕がまさにそんな感じだったのである。まあ、いまでも劇的に改善されたとは思っていないけど、まさに良くも悪くも仕事が趣味だった(そういうしかないし、そう錯覚していた)頃と比べると、いまは幾分かはココロとカラダを癒す時間が持てているんじゃないかと思う。そう、カメラに出会ったのである。

カメラがおもしろいのは、特別なようで特別じゃないところである。だって、写真は普段から撮ってるでしょ、スマホのカメラで。TwitterだのInstagramだのLINEだのFacebookなんかをなにかしらやってる大人は、毎日なにかしらの写真を撮っているはずで、「一眼レフのような本格的カメラなんて仰々しい」と思うかもしれないけど、撮れるのは写真であって何も特別なことではないわけである。

これが、僕が大人のいい趣味にカメラをおすすめする理由だ。

つまり、特別にどこかへ出かける必要もないし、普通にこれまで通り生活していてもいいわけである。ただスマホカメラで撮っていたような写真を、本格的カメラで撮ればいいだけなのである。時間を割いてジムへ行く必要もないし、なにか特別な技術をゼロから習得する必要もないのである。

スマホカメラを本格的カメラに置き換えるだけでいいのである。どうです?、これなら時間のない大人にもできそうでしょ。そう、誰にでも実はできてしまうのがカメラの魅力でもあるのだ。

いやいや、ちょっと待てよと。スマホカメラで撮っていたシーンを本格的カメラで撮るだけで、それが果たして趣味になるのか?と。それならスマホカメラで撮るのとさして変わりないじゃないか?と思うかもしれないけど、これが驚くほど変わりあるのだ。

いや、想像を絶するほど、あなたをとりまく日常のクリエイティビティは激変すると思う。極端なことをいえば「世界はこんなにも美しく尊いものだったのか!」と。

手に伝わるカメラという機械のひんやりとした工芸品に触れるかのような感触。レンズの表面にまばゆく揺れる虹のような光。

絞りやシャッタースピードをダイヤルをカチカチと動かしながら研ぎ澄ませていく指先と脳のアクション。ファインダーの中に現れる、まるで映画のワンシーンのような密度のある光景。

そして、人間の本能に作用するかのようなプロのカメラマンになったような気分に酔いしれる硬質なシャッター音。そうやって一枚一枚を紡ぎ出すような写真の創造は、もはやスマホカメラで撮る写真とはまったく異なる、まさに趣味性豊かなフォトグラフィーの世界なのである。

もう一度言う。スマホカメラを本格的カメラに持ち変えるだけである。それだけで、大人たちの疲れきったアタマとカラダが、なにやらクリエイティブなものたちに洗い流されるというか、人間としての好奇心や歓びのようなものがふつふつと体の奥底から蘇ってくるのである。

こんな素晴らしい趣味が他にあるだろうか。もう、大人は全員、カメラをやったほうがいいと僕なんかは思うのである。

忙しくて時間がないなんて言う人ほど、そのライフスタイルのままでいいので、カメラだけ手に入れるために明日でも今夜でもカメラ屋へ行ってくれと。

新品のカメラでもいいし、型落ちの値頃な価格になった中古カメラでもいい。なんなら、スタイル重視のレトロなフィルムカメラでもいい。とにかく直感でこれだと思ったカメラを連れて帰ればまず失敗はない。

ただ、惚れ込んだ一台がいいとは思う。そのカメラを眺めているだけで少しうっとりした気持ちになるようなカメラがいい。なにせ時間はないのだから、部屋で眺めるだけでも癒されるカメラがいい。

そして、これまで通り普通に時間を過ごすのだけど、ただひとつ、そのカメラだけはスマホのようにいつも持ち歩くのである。それだけでいいのである。

犬と暮らしてる人なら、朝晩の散歩の時にカメラも連れていくのである。例えばコンビニに買い物に行く時も、カメラを首からぶら下げて行くのである。

仕事に行く時もさりげなく鞄の中に忍ばせて出社するのである。奥さんにクリーニングの受け取りを頼まれたら、その時も財布と一緒にカメラだけは持って行くのである。

子どもの参観日や行事には、それこそここぞとばかりカメラを連れ出してやるのである。そんな普通の感じでいいのである。その先に待っているのは、ちょっと想像を絶する何かだと思う。

これはもう、騙されたと思って、やってみてほしい。そうすることで、信じられないかもしれないけど、日常が趣味の時間に変わるのである。

いや、大袈裟に聞こえるかもしれないけど、それがカメラの魔法なのである。レンズの神秘なのである。

このクソ忙しい大人の生活の中で趣味の時間を見出すなんていうのは、並大抵のことではない。だから、カメラがあるのだ。そう、これは単なる趣味を超えた「いい趣味」なのだ。

いかにも大人の上質な時間を作り出す、画期的な装置なのだ。1ミリでも共感するところがあったとしたら、あなたが行動することはただひとつ。カメラ屋へ向かうことだ。健闘を祈っている。大人の同志として。

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