久しぶりにフィルムで撮りたくなったわけは昨日のブログに書いたけど、フィルムをジジッと巻き上げて、素通しのファインダーを覗きながら、コトッとアナログなシャッターを切るのはやはり気持ちがいいわけで。
よく考えたら、フィルムの現像はまだ上がってきていなくて(忙しくてまだ現像に出せていない笑)、つまり撮った写真を見ていないのに、フィルムカメラで撮る行為だけでこれだけ満たされているのもおもしろいと思う。
でも、これがそもそもの写真撮影行為であって、その撮った写真を確認することなく次々と撮影していくリズムだからこそ撮れる写真って、やっぱりあると思うんだな。フィルムカメラで撮ると、その写真ができあがるまでのプロセスというのを、あらためて思い出すところがある。
EVFでのぞいてるわけじゃないし、背面モニターで撮影直後の写真を確認してるわけでもないから、フィルムカメラでシャッターを切ってる瞬間というのは、頭の中のどこかに撮れたであろう写真の像みたいなのを記憶してるんだろうね。それこそ「記憶カメラ」か。
僕はたぶん、そのリズムとその写真との出会い方がどこか染みついていて、デジカメで撮る時もあからさまにフィルムカメラで撮る感覚を追いかけているのかもしれない。X-Pro3で撮っていることは、その最たる現象だ笑。
あと、フィルムをやっていた人はみんな、そう思ったことがあると思うけど、撮ってからしばらく現像が上がるまでの間、写真とのご対面はおあずけなのも、なんかいい「間」なんだよね。
僕はそんなことも歓びの記憶としてちょっとあって、最新のデジカメでもWiFi転送機能というものをまったく使わない。撮影後に帰宅してからSDカードリーダーをiPhoneにつないで、ようやく写真とご対面ということになる。
まあ、これには写真データを有線で素早く取り込みたいという、スピードのこともあるんだけど、帰宅するまで写真を見ない感じがそれこそフィルム現像待ちのようで、ちょっとワクワクしたりして精神衛生上もいいのだ。
デジカメなんだから、もっとデジカメらしく効率的に使えばいいじゃん!と言われそうだけど、もう頭と身体がフィルムカメラを思い出してしまっているから、しょうがない。
あとは、フィルムのトーンかな。デジカメでフィルムの光の掬い取り方を再現するのは無理なんだけど、それでもやはり頭と身体のどこかがあるフィルムで撮る世界を求めるのである。その結果、僕はフィルムシミュレーションに魅せられることになる。
気持ちの問題が大きいかもしれないけど、フジのフィルムで撮ってる気分というのは、僕の中にある大切な思い出の一部なのだ。
とはいえ、ふだんデジカメで撮ってると、いつの間にかちょっとデジタルすぎるじぶんにふと気がついたり。そんな時に、あらためてじぶんの写真の原点を思い出すかのように、フィルムとフィルムカメラで撮ることがとても心地いいのだと思う。
デジカメとフィルムカメラを行ったり来たりの生活だったりするけど、じぶんの中ではまったく違和感はないというか、とてもシームレスに両方の世界を楽しめている気がする。
この点については、じぶんのちょっと変な嗜好に感謝したりもしてるんだけど、それもこれもフィルムとフィルムカメラに出会ったおかげかなと思ってる。写真というのはどこか「思い出す」ということの一つの線の上で繋がってるんだろうな。最近そんなふうに考えている。
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