
正確に言うとFUJIFILMでも「ラージフォーマット」というのが正式呼称だけど、世の中的には「中判デジタル」と呼ばれることが多いので、ここでもそう捉えて話したいと思う。
そう、タイトルにも書いた通り、この「中判」という大きなサイズでの描写を、たまに無性に楽しみたくなるのである。
僕でいえば、中判フィルムはローライフレックス・スタンダードが愛機だけど、あの中判ならではなの綿密な写真描写をたまに味わいたくなるのと同じように、デジタルもFUJIFILMのGFXで撮りたくなるというわけだ。



今朝もそんな症状が出て笑、原点回帰というか、GFXを使い始めた頃に常用していたキットレンズのGF 35-70mm 標準ズームをつけて、なんてことない辺りを散歩カメラして楽しんだ。
そう、なんてことない近所の散歩だから、なにも中判デジタルを持ち出すほどのことはないわけだけど、それでもたまに中判で撮りたくなるこの気持ちみたいなものは、なんと呼べばいいのだろうか。
もちろん、GFX 50S IIの使用感を楽しみたいということもある。ちょっと大ぶりなカメラを構えてじっくり撮る感覚や、どこか中判フィルムカメラを思わせる一枚入魂のようなあのシャッターフィールを味わうという意味で。



でも、つまるところ中判デジタルはやっぱりあのフルサイズセンサーの約1.7倍もの大きさを誇るセンサーで、辺りの光をふんだんに取り入れたかのような空気感豊かな描写を楽しむということが、使う動機の最も大きなところだとじぶんでも感じる。
プロの写真家の人なら、それこそスタジオで静止画を撮るようなリッチな描写機材として中判デジタルを活用するのだろうけど、僕のように完全に趣味で楽しむ人間にとっては「じぶんはいま、中判で撮っている」という意識の持ちようも心を満たす大きな部分じゃないかな。
絶対必要か?と言われれば、それはもう優秀なAPS-C機や最新フルサイズ機があれば十分なのだろうけど、そこはある意味、ちょっと「無駄な豊かさ」みたいなものがよかったりするのだ。んー、語彙力がなくて申し訳ない笑



僕が使っているのは、中判デジタルのなかでも画素数的には小さなもので、GFX 50S IIを使っている。中判デジタルの世界も一億画像タイプが主流になってきたから、そろそろ5000万画素タイプはディスコンになりそうだけど、僕なんかはあえてこのサイズが使いやすいとも感じるから、同じような感覚の人は、いまが購入のラストチャンスかもしれない。
無くてもいいけど、あるとちょっと日々が豊かになる、そんなカメラが中判デジタル。触れる機会がある人は、まずは一度試し撮りなどしてみることをおすすめする。そこにしかない世界がちょっと垣間見えたりすると思うので。
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