カメラへの思い

一家に一台、FUJIFILMのカメラを。

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FUJIFILM X-Pro3, XF35/1.4R

「お正月を写そう、フジカラーで写そう♪」で合ってたっけ。そう、かつてはみんな、富士フイルムで節目節目に写真を撮っていたニッポン、いや世界。

いまでこそ、フィルムは趣味性の高いアイテムになったけど、2000年頃までは世界中のお父さんたちがフィルムで家族写真を撮っていたかと思うと、なんかジンとくる。

僕もいま思うと、その頃にカメラをやっていたら、かけがえのない思い出の記録ができていただろうなと、ちょっと感傷に浸ったりする。

それでも、それほど数は多くないけど、両親が僕が幼い頃の写真をアルバムに残してくれていて、やっぱりね、そんな写真たちを見ると「写真に残す」って理屈抜きにいいなと思う。

たしかに現代のFUJIFILMのカメラたちはデジカメだから、かつてのフィルムではないし、古いフィルム写真を眺めて感じるあのノスタルジックな感じとは異なる。

でも、その世界観に近づけようとしている感覚は、僕なんかはFUJIFILMのカメラたちにすごく感じる。

写真というのは、撮った瞬間から過去になっていくものだから、どんなに最先端のカメラでも想い出的な要素というかノスタルジックな要素が混ざり込むと思っていて、だから人はフィルム写真やフィルムカメラに魅せられていくんじゃないかと。

撮る時は「いまを撮る」わけだけど、写真を見る時は「あの時を見る」という過去をめぐる要素を、フィルム販売会社である富士フイルムは今も根底に持ってるんじゃないかと思うんだ。

たとえそれがデジカメであっても、写真に対する向き合い方といえばいいのかな、そこがFUJIFILMのカメラには宿っている気がする。

ここ数日間、フィルムシミュレーションのことなんかもブログに書いてきたけど、写真が本来持つ「ジワジワと想い出が心に染み渡る」という味わいを随所に感じてもらうために、あんなクラシックなスタイルのカメラデザインを取り入れているし、フィルム銘柄を想起させるフィルムシミュレーションや、フィルム写真を再現するかのようなグレインエフェクトなんかにこだわるんだろうなと。

クラシックなデザインについていえば、もちろんそれは操作性の確かさの利点もあって、かつてのライカのように電源なんて入っていなくても絞りやシャッタースピードが変えられて、歩きながら次のスナップの準備ができるといったメリットもある。

でも、僕も最近、割とプログラムオートで撮ることもあって、そんな時は物理ダイヤルはある意味、飾りのようになるわけだけど、それでもあのダイヤル類を眺めながら撮るところに、写真のノスタルジック感を楽しんでるところは間違いなくある。

自然を撮るならVelviaがいいなとか、きょうは家族を撮るからASTIAが抜けがいいなとか、ここは日常のなにげない記録だからPROVIAで撮ろうとか、なんていうのか、こういうカメラが一台あると、とても生活に潤いとか穏やかさが出る気がするんだ。

あと、富士フイルムのカメラがいいのは、APS-Cゆえにフルサイズほどはボディもレンズも高価じゃない。

これも、一家に一台カメラがある世の中を、っていう富士フイルムの思想のひとつなんじゃないかと僕は思っている。

そう、気負わずに気がつくとじぶんや家族のそばにそっと寄り添って存在するカメラ。

この感覚が、僕がフィルムカメラに抱く感覚と、現代のFUJIFILMのカメラたちに抱く感覚との間で、かなり似通っている。

これまでいろんなカメラを使ってきたけど、一周してFUJIFILMのカメラたちにたどり着いたような気分、とでもいえばいいかな。

とはいえ、これは僕の感情であって、それを「一家に一台、FUJIFILMのカメラを」と誰もに言ってしまうのはいかがなものかというのはあるけど笑、ふと思ったんだよね、家族の中にノスタルジックなカメラが一台ある幸福感みたいな光景の良さを。

僕は富士フイルムのカメラたちで撮るようになって、いい感じで肩の力が抜けて普段着のような写真生活を楽しめている。

そう、フィルム写真を撮るような、あの心持ちとかリズムで。

そういうニュアンスが一人でも多くの人に伝わればいいなと思いながら、きょうもブログを書いている。

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