カメラへの思い

「このカメラが私だ」と思えるカメラに出会えるまで。

FUJIFILM X-Pro3, XF 23/1.4R

所有しているカメラの台数を数えなくなって、もうどれくらい経つだろうか。実際、いま何台のカメラを所有しているかは把握できていない。

そんなに多く持っているのか、というわけでもなくて、何度か断捨離もしたので数えようと思えば数えられると思うけど、そのことに興味がないというのが正しい。

つまり、コレクションしているわけではない。ただ、一度はじぶんの目や手で確かめてみたいと考えた結果、人生で試したいカメラ、試してみて抜き差しならない相性みたいなものを感じたカメラだけが、自然と手元に残っている。そんな感じだ。

そこには性能とか機能より「フィーリングとしての縁」みたいなものが根底に大きくあるから、似たようなカメラが結果として多い気がする。例えば、このFUJIFILM Xシリーズなんかがそう。

X-Pro3があればX-E4やX100Vは物理的には必要ない気がするけど、結果この3台のうちどれかを手放そうと思ってもなかなかむずかしい。どれも「これが私だ」と使うたびに思うのである。

ポリシーがあるようで無いようで、書いていても少し恥ずかしいのだけど、カメラには人生を救ってもらっているような感覚があるから、理屈的なことよりもエモーショナルな所有理由のほうを僕は大切にしている。

FUJIFILM X-E4

僕の場合だと、写真を撮ることは全然上手じゃないんで、カメラに求めるものは「じぶんを歓ばせてくれること」をまず何よりも第一に置いている、ということだろうとじぶんでは分析している。

でも、どうだろう。根底には、そのルーツとしてNikon F2とLeica M3の存在が色濃くあるかな。一眼レフのNikon F2アイレベルをいたく気に入ったからNikon DfやPENTAX K-3 IIIを気に入って使っていると思うし、レンジファインダーのLeica M3に惚れ込んだからFUJIFILMのXシリーズに繋がってきたように思うしね。

そういう意味では、「このカメラは私だ」というルーツは、Nikon F2アイレベルとLeica M3なんだろうし、いま使っているデジカメたちもその影響を大いに受けた「このカメラが私だシリーズ」と言えるのかもしれない。

原体験というのは大きい。そのカメラと出会わなかったら今の僕のカメラたちは無かった気がするし、どれ一台欠けても今のカメラにたどり着くこともきっと無かった。

どれも必然だし、これまで試したきたカメラ、気に入ってきたカメラの軌跡が、現在のカメラを手に取らせているわけだから。そういう意味では、ある程度の台数を持っている人たちの所有カメラを比較してみたら、まずまったく同じというのは無いんじゃないだろうか。

もうすでに「このカメラが私だ」と思えるカメラが手元にある気もするし、いやいやまだまだ出会えていない気もするとも感じる。ただ、このカメラが私だという結論にはかなり近づいている気はする。

FUJIFILM X100V

果たして僕はあと何台のカメラと出会うのだろうか。新しいから欲しいという感覚は無いから、これで打ち止めな気もするし、現時点でそう思っていたとしても、突如として「このカメラが私だ」と思えるカメラに劇的に出会って、またじぶんのラインナップが増えるかもしれない。

カメラとの日々は、まさに「旅」のようなもの。もっと、じぶんらしいカメラが他にあるんじゃないか?と思えば、これから先もまだまだ旅は続くのである。その現象を僕は「一生、試し撮り」という言葉にぞらえて日々を過ごしているのだ。

あなたにとって「このカメラが私だ」と思えるカメラはどんなカメラたちだろうか。ルックス、シャッターフィール、紡ぎ出される描写。

いろんな要素があると思うけど、ひとつ言えるのは、この長いようで短い人生の中で「このカメラは私だ」と思えるカメラに出会えたとしたらそれは幸福なことだし、きっと撮れる写真もなにかしらその思い入れが現れてるんじゃないかな。

そういう精神性で選ぶカメラというのもあっていいし、むしろ僕はそういうカメラ選びこそ強いと思うし、写真に与える影響はどんなハイスペックな機能より影響が大きいんじゃないかと、最近強く感じている。

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