PENTAX Q-S1

少し古いカメラは、なぜ楽しいのか。

PENTAX Q-S1, 07 Mount Shield Lens

僕の手元には、少し古いカメラたちがいろいろとある。

「古い」という中にはもちろんフィルム時代のクラシックなものも多いが、デジカメも古いモノについつい目がいく。

なぜか?

それは、古いモノたちのほうが、単純に「個性」が強いからである。

当たり前だけど、時代が進むとモノというのはだんだん多機能になり、だんだん洗練されていく。

それは便利になっているのかもしれないけど、尖っていた部分がだんだんと丸みを帯びてしまうことも意味する。

つまり、隙がない、ソツがないモノにはなっていってるのかもだけど、おもしろみは薄れていく。

人間も、バランスの良すぎる人より、けっこうアンバランスな人のほうが目が釘付けになるし、魅力的だったりするでしょ。

いまの時代のカメラも、いろいろと多機能で「なんでも撮れます」みたいない感じだけど、撮る楽しさという点でいえば「何でも撮れる万能なカメラではないけど、ある部分においてはワクワクするほどとんがっている」というような、少々ジャジャ馬みたいなカメラを操るほうが楽しかったりするのである。

そういう性能的にとんがってるカメラは、機能美という点でいえばデザインも大抵とんがっている。

例えば、このPENTAX Q-S1もセンサーサイズが小さすぎてボケの濃厚な写真が撮れるものではないけど、その分、恐ろしいほど軽量コンパクトにし、なんとレンズ交換式にして打ち出してきたのである。

クレイジー極まりないけど、それは超がつくほど個性的で、見た目だけじゃなく、その精神性が実にカッコいいのである。

僕的にいえば、コンデジに光学ファインダーを載せたFUJIFILM X10なんかもやるなあと思うし、一眼レフでいえば動画性能には見向きもせずに寫眞機に徹したNikon Dfなんかもそう。

最近だと、PENTAX K-3 Mark IIIなんかにも同じ匂いを感じる。

つまり、どれも決して万能なカメラじゃないけど、その分だけ「個性」が際立っていて、妙に惹かれるのだ。

そして、こういうカメラたちで撮っていると、何も精巧で精密な写真が「いい写真」というわけではなくて、どこか隙があったり未完成ゆえの問いかけが滲むような写真のほうが魅力的だなと思ったりするのである。

あくまで個人的な好みの話だけど、そんなこんなで僕はある種、未完成のような少し古いカメラに惹かれるのである。

他とは似ても似つかない超個性的なカメラを作ってやる!という、開発者たちの並々ならぬ気概が感じられる点においてもね。

ただ、そういう個性的であることが、イコール「売れること」であるというわけでもない。

ここが企業の選択としてむずかしいところだけど、でも潔いくらいとんがってる製品というのは、何年、何十年経っても熱狂的なファンたちに長きに渡り支持され続けるように思う。

そして、その濃い色が、そのブランドの色を明瞭にしたり魅力的に見せたりもする。

すべてのカメラが超個性的であってほしいとは言わないが、これから生まれるカメラたちも、そのいくつかは、人々の中に眠るクレイジーさに火を灯してくれるような、熱く個性的なモノであってほしいと願うのである。

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