カメラへの思い

多くの人にとって、カメラは嗜好品である。

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Nikon Dfの特徴的な露出ダイヤル。

いまカメラがかつてのように売れないのは当たり前で、スマホカメラの登場以前は「写真を撮る方法は基本、デジカメを所有するしかなかった」わけで、いまは日常の何気ない写真であればもうスマホカメラで済ませてしまう時代だよね。だから、カメラは何年も前に明らかに実用品から嗜好品へと変わることを余儀なくされた。

これってよく言われることではあるけど、じゃあ実際、いま売られているカメラが嗜好品へと大きく転換したかというと、僕にはほとんどのカメラが実用品時代から何も発想が変わっていないように見えるんだよね。異論がある人もいるかもしれないけど、個人的にはそうとしか見えないというのが素直なところ。

僕が愛するデジカメのひとつ Nikon Df

というのも、あいかわらずカメラ各社の多くは、カメラのスペックのことを一所懸命アピールしていて、一方で嗜好品としての本来の魅力である「そのカメラを手にしたら、じぶんの日常やライフスタイルがどう豊かになるのか」という情緒的メリットのほうはほぼ説かれていない。これだと、かねてからカメラファンだった人をなんとか維持する方向しか残っていないんだよね。

マーケットって、その使い手の人たちはやがて引退していくから、そこだけ追いかけてると必ずマーケットはシュリンクする。だから実は維持さえもむずかしい。どうしても新しいユーザーやファンを取り込んでいかないとプラスマイナス的には必ずマイナスになる。だとしたら「嗜好品としてのカメラに価値を見出す人たちをどう創造していくか」というのが大命題になるんだよね。

クラシックで愛らしいKodak Signet35

そこでヒントが無いわけじゃない。というのが、こんなカメラマーケットの試練の時代のなかで唯一の光と言っていい「若い人たちの間のフィルム写真とフィルムカメラ人気」。かつてのフィルムカメラは実用品だったけど、実用品がスマホカメラに入れ替わった現在、フィルムカメラは明らかに嗜好品として支持されている。だって、それほどまでに嗜好意図がなければ、あんなにコストがかかるフィルムカメラを手にしたりしないからね。

せっかく若者たちがフィルムを通してカメラに興味を持ってくれている奇跡的な状況だから、本当はフィルム価格や現像料金、データ化代なんかがもっと安くなれば裾野はもっと広がりそうだけど、残念ながら世の中全体で見ればフィルム生産量も減少せざるを得ないし、世の中の稼働する現像機の数も今後は減少していくことは間違いない。このことを現在のカメラメーカー各社はどう捉えるかだと思うんだよね。

クラシックなスタイルとフィルムシミュレーションが売りの富士フイルム Xシリーズ

いまはフィルムとは無関係だからと傍観するのか、それともフィルム=嗜好品というこの減少をヒントに、デジカメにもっと嗜好品の要素を移設するか、もしくは世の中の人々に「嗜好品としてのカメラが日常にある素晴らしさをどう説いていくか」という点。僕個人的には、現時点でこのポイントに光を当てようとしているカメラメーカーは、富士フイルムしか思い当たらないんだよね。フィルム時代の実用性を現代の嗜好性になんとか置き換えようとして努力している唯一のカメラメーカーに思える。

いやもうほんとに大きなお世話かもしれないけど、ひとりのカメラファンとしてカメラメーカー各社にはなんとか生き残ってほしいし、実際、世の中の暮らしの中にもっとカメラが広がれば、それは決して大袈裟では無く、もっと日常に文化的な香りやエモーショナルなシーンが増えると思ってるんだよね。たしかにかつては日本のカメラメーカーは「モノづくり大国ニッポン」の象徴だった。でも、いまはモノよりコトだし、コトすらも超えつつある。

富士フイルムのフラッグシップ機のひとつX-Pro3

若い人たちがよくフィルム写真やフィルムカメラの良さを「エモい」と表現するけど、そのエモいという感覚や感情をもっとデジカメの中に見出すことは不可能なのか?そして、そのことをもっと紐解いていくために一般生活者の人たちの中へ入っていってリレーションをとることはできないのか?、そんなようなことを思わずにはいられないある休日の午後である。

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