写真とは

それでもカメラで撮り続ける理由とは。

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とても個人的な話ではあるのだけど、毎日なにかしらのカメラとレンズで写真を撮り続けているけど、まあこれが「よし」と思える写真などなかなか撮れない。

いちおうSNSなんかには「僕は生きてます」という意味もあってその日の写真なんをポストしてるけど、とても誇れるような写真はなくて、ほんとに極々たまに「いい写真ではないけど、好きな写真」がほんの一枚撮れるかどうか、そんなレベルだ。

いや、そんな達成感のないことが趣味として楽しいの?ということなんだけど、これが不思議と楽しいのだ。なんか、上手くいかないから、また次の日も、その次の日も懲りずに撮り続けるみたいな感覚。

なぜ、こんなことを書くのかというと、同じような人を僕なりに何人か見かけたから。別に悲壮感があるわけじゃないけど、なんかこう、じぶんが撮る写真に悶々としながら。でもそれが日々のモチベーションの源泉みたいになっている人たち。

少し前に、僕はXにこんなことをポストした。

写真も含めて表現物というのは人となりや力量なんかもぜんぶ滲み出ちゃうから、SNSなんかにポストするのも実はけっこう小っ恥ずかしかったりするわけだけど、でも写真は「誰かが写真を撮ってる日常」を見て、呼応して撮りたくなる物でもあるから、そこは開き直ってポストし続けるのだ:)

完全に個人的なつぶやきなわけだけど、これに意外といいね!をしてくれる人が多かった。それはおそらくだけど、僕への共感というより、思い当たるじぶんへの共感ということだったんじゃないかと思う。

昔と比べると、SNSが日常的になったことで、日々撮った写真を披露する場ができたことは画期的だけど、披露とは言い難い写真を量産している僕なんかは、とてもじゃないけどその写真が誰かの役に立っているとは思い難い。それでもポストし続ける何か。

ひとえに、自分の向上心とか探究心との対峙なんだろうなあ、と思う。終わりのない旅のようなもの。そのジャンルとして、カメラと写真というのは、身近に没頭できる最良の趣味じゃないかと思ってる。

SIGMA fp, 45mm f2.8 DG DN

この話に答えのような結論はないけど、僕は最近、カメラとレンズの先にある「写真」にとても関心が向いている。え?いまさらか?と言われそうだけど、こう見えてじぶんは写真好きでもあると思っていたけど、当たり前に「まず、そこがふにゃふにゃだ」と悟ったというか。

それもあって、最近はとにかく写真関連のYouTubeチャンネルである、渡部さとるさんの「2B Channel」と、トモ・コスガさんの「言葉なき対話」をむさぼるように観ている。過去動画にいろいろとコメントを書き込んでご迷惑をおかけしていると認識はしてるのだけど。

そして、写真集も増えつつある。このブログの中でも紹介してるけど、今年に入って深瀬昌久さんの図録と奥山由之さんの写真集を購入した。そして、これもまたむさぼるように暇さえあれば眺めている。当たり前だけど発見や気づきの連続だ。

そんな写真が撮れるわけじゃないけど、なんとなくじぶんなりに得たヒントのようなものを頼りに、あーでもないこーでもないと思いつつ翌朝の散歩なんかでシャッターを切る。もう、この終わりの見えないルーチンプロセスの連続というか、ループだ。

でも、これが楽しい。いちおう種類としては「悩んでる」のだけど、それを克服する感じがやけに楽しいのである。そんなこんなで明日も、また次の日も、答えのないシャッターの旅に出る。平凡だけど、どこか偉大なる平凡なのだ。

完全に個人的な話なので、軽く受け流してもらったほうがいいのだけど、いまあらためてそんなことを考えているという、備忘録ということで。

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