ライカを代表するM型は、フィルム機にしろデジタル機にしろ、その精密機械然としたある種の厳かさみたいなものに圧倒されるようなところがある。どうしても乱暴に扱えないというか、知らず知らずのうちに慎重に扱っているというか。
値段も高価だし、そのデザインもクールでソリッドだから、高級品的に見てしまうのはしょうがない。けれど、M型ライカが写真機としてこれだけ愛されるのは、なにもブランド品だからではない。
そこはやはり、レンジファインダー機であることこそがユニークさなのだ。
もっと言えば「ブライトフレーム」だ。レンジファインダー機を使ったことがある人にはおなじみだが、M型ライカの素通しのガラスのファインダーのなかには、少し内側に白く照らされた四角の枠がある。写真に映るのは、ファインダー像の全体では無く、このブライトフレームの枠の中の像だ。
よく言われるのは、ブライトフレームの外側も見えるため、フレームインしてくる瞬間が分かってシャッターを切ることができる。それがいかにもスナップショット向きだというわけだ。
でも、僕がブライトフレームのあるレンジファインダー機がいいと思うのは、ある種のアバウトさである。いちおうプライドフレームで撮れる範囲は概ね分かる。でも本当に概ねであって、一眼レフ機やミラーレス機のように正確に四隅が切り取れるわけではない。どんな達人でもレンジファインダー機で撮る分には曖昧さを許容するし、むしろそれがいいのだ。
ましてや、僕のような素人が曖昧なブライトフレームでスナップするなら、それはもう曖昧のさらに曖昧。狙った像を思い通りに切り取るなんてことはできない。でも、このアバウトさが僕をラフに、自由にしてくれる。
以前、富士フイルムの上野隆さんが動画で話されていたけど、友人に一眼レフで撮った写真を見せたら「窮屈でつまらない」と酷評され、ダメ元で手元にあったライカで撮った写真を見せたら「いい、こっちの写真のほうが断然いいじゃないか」と絶賛されたと。ライカで撮った写真のほうが、見たままの光景が感じられる、みたいなニュアンスのことを言われたそうだ。(ニュアンス、多少間違えてたら申し訳ない)
これはすごくよく分かるニュアンスで、たしかに四隅がきっちり切り落とされた撮影スタイルの一眼レフ機なんかだと、水平や天地も含めてついついカチッとフレームづくりしてしまうというか、置きにいくような写真を撮ってしまうところがある。
それに対して、M型ライカは「置きにいく」なんて芸当はそもそもできない。置きにいくもなにも、極端に言えば正確に撮ることを最初から諦めさせるところがある。撮る時から、フレームにおける正確性や生真面目さは頭に無いというほうが近い。だから、おのずと意識は切り取る四隅より、目の前の空気感全体に向かう。
ライカがスナップ向きと言われるのは、歩きながら露出ダイヤルを操作できる点も大きいが、この「撮る心持ちや視線が、空気感を切り取るスナップ向き」であると僕なんかは感じている。だから、プロダクトとしては厳かさを感じつつ、撮る時の気分は実にラフでカジュアルなのである。
他の人はどう思ってるかは分からないけど、これが僕のM型ライカ評で、僕がLeica M3やM8で撮る理由だ。このちょっとがんじがらめのような世の中にあって、ライカで撮る時は身も心も自由になれる感じ。それがとても心地いいのだ。
もちろん、ライカのレンズが…とか、作りの質感が…とか、ライカで撮る魅力を挙げれば多々あるが、ふと「ライカと撮り歩こうか」と思わせる引力みたいなものは、僕はラフさであり自由さだと思っている。気分としてはブランド服ではなく普段着のような道具であることが、ライカのユニークさなのだ。
と、まあ、勝手ながらM型ライカを持ち出す理由みたいなことを書いてみたが、あくまでこれは僕の個人的なライカ評なんで、そこはご容赦いただくとして。でも、ライカはどうしてもその高価さで一見距離を感じるのだけど、使ってみるとむしろアバウトで異様に親近感がわくというのは言い過ぎだろうか。
食わず嫌いで触れたことがないという人こそ、ぜひフィルム機のM型ライカあたりから体感してみてほしいものだと思ったりする。安くはないが、まだ高くもない今のうちに…。
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