Leica M3

撮られてることを意識させないことこそ、ライカの最高性能だと思う。

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きょうはライカM3に初めてEktar 100を入れて、外へ連れ出してみた。といっても、わざわざ撮影に出かけたんじゃなくて、家族とのお出かけに同行させた、というライトな外出なんだけどね。撮ったのは、ほんの5枚だけ。妻と息子の写真だ。

僕が撮る写真はほんとになんの変哲もない日常のスナップで、人を撮るのはほぼ妻と息子だけ。息子が小さい頃はNokiaやiPhoneのカメラで息子の成長を撮り、三年ほど前からはカメラで撮るようになった。

カメラで撮るようになって変わったことといえば、息子も自我が芽生えて写真を撮られることを嫌がるようになったことかな。正確にいうと本気で嫌というよりは照れ臭いんだと思う。だから、息子をカメラで撮る時は、遠目から望遠で撮ることが多かった。でも、近ごろはもうひとつ息子の撮り方が増えた。それは、ライカで撮るということ。

僕のライカはM3。ほかのライカのことは正直よく分からないけど、M3について言えば、とにかくシャッター音が静かだ。それは単に音の音量ということだけじゃなくて、その振動というか、撮ってる佇まいからして静かといえばいいだろうか。ふだん一眼レフを使っている人がM3で撮ると、ちょっと驚嘆するレベルだと思う。

実際、僕が初めてM3のフィルム巻き上げからシャッターを切ってみた時は、そのあまりの滑らかさと静けさに思わずため息が出るほどだったから。

カメラで撮られることを嫌がる息子も、じぶんがカメラで撮られているとは気づかないのであれば、もちろん嫌がられることもない。さすがに正面から撮る時は撮られることを意識させるけど、横顔とか斜めから撮るようなシチュエーションだと、どうかしたら息子は撮られていることは気づかない。

本屋で立ち読みに夢中になっている息子の姿を何度となく斜めとか横からそっと撮ってきたりしたけど、M3で撮る時はまず息子は撮られていることに気がつかない。だから、僕は家族と出かける時に持ち出すカメラとしては、フィルムカメラならM3であることが多い。

まあ、息子にしてみれば、いつの間にか撮られているのもどうかと思うかもしれないけど、父としては一枚でも多くの息子の普通の姿を撮り残してあげたくてね。息子が撮られること自体を嫌がるんじゃなくて、照れ臭いのであれば、せめて撮られていることを感じさせずに撮っておいてあげようと思って、お節介だけどそんな日々を送っている。

ライカM3、やれオーバークオリティな機械の手ごたえとか、美しく優れたファインダーとか賛美されるわけだけど、僕はこのカメラの最高性能はこの驚異的な静かさだと思っている。無音じゃなくて、撮り手にはシャッターを切っていることをしっかり感じさせるのに、撮られている人にはそのことを意識させないカメラ。これこそがM3の真骨頂だと。それはつまり、街中でスナップを撮る時の最大のメリットとも言える。

ライカとはその価格から言えば何やらたいそうなものを撮るためのカメラと思いがちだけど、この何気ない日常をそっと撮ることこそに真価を発揮するカメラなんじゃないかな。少なくとも僕にとってはそういう意味での最高のカメラだったりする。

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