
今朝なにげなくTwitterを眺めてたら、とある方のツイートで「パリのウエディングフォトグラファーさんの普段使いのカメラとして、世界の半分を一緒に廻ったとされる使い込まれた美しいX-T2」といったニュアンスのカメラの写真がTLに流れてきて、僕も思わず「カッコいい!」と見惚れてしまった。
実は僕も以前は同じブラックボディのX-T2を使っていて、そういう意味でも見惚れてしまったのだけど、それ以上にグッときたのが「その年輪の豊かさ」みたいなもの。
X-T2は開発と発表の段階で「10年は余裕で使ってもらえるカメラ」というテーマを富士フイルムの開発陣が掲げていて、そのエピソードがまさにパリと世界を舞台に現実化されていることに、うん、そういうカメラとの向き合い方って素敵だなと思ったのである。

カメラメーカーとユーザーの間の、無言の意思疎通というか、約束みたいなものかな。そうやって考えると、丈夫で長く使えるということは最も大切な「性能」だと感じる。
カメラメーカーにしてみれば、10年間もあればそのうちに新製品も出るだろうに、それでいて10年、いやもっと長く使い続けてもらえるカメラを、というようなフレーズは綺麗事にしてもそう簡単には言えない言葉。僕もX-T2を使っていた頃に富士フイルムの開発者からその言葉を聞いて、かなりグッときた記憶がある。
カメラって道具以上に「相棒」のような存在感のプロダクトだから、できれば壊れずにいつまでも使い続けたいし、長年使い倒すくらい密に一緒に過ごすことで「あの年輪のようなエイジング」の美しいボディが出来上がっていく。
特にプロのカメラマンの人たちなんかなら尚更で、いろんなむずかしい局面を相棒と呼べる使い慣れたカメラとだから突破することができるという、命綱みたいな思い入れがあると思う。今朝見たカメラの写真にも、そういう絆のような美しさが滲み出ていたのだと思う。
富士フイルムのX-Tシリーズは、特に派手さがあるというよりは質実剛健な写真機。僕もその燻銀みたいな存在感が好きだ。それは一桁シリーズだけじゃなくて、X-Tシリーズ全体に感じる「信頼感」みたいなものだ。
古くなりようのないそのオーセンティックなデザインと、マニュアル撮影で撮ることを考慮した物理ダイヤルの使いよさ。そして、年数を経てもファームウェアの更新で不満を感じることなく使い続けられるオールマイティな安心感。これぞ「道具以上の相棒」と感じられる世界がそこにある。
僕の手元にはいま、X-T2に代わってX-T5があるのだけど、できることならベコベコになるまで同じ光景を共にする相棒として使い倒せたら本望だなと思っている。X-T2が何事もなくずっと使い続けられたようにね。
★今日の注目商品をチェック!