これは僕の感覚的な見解だけど、感覚的とはいえ、長らくいろんなカメラを使ってきて感じていることだから、実感の見解でもある。
それはフィルムカメラもオールドデジカメも同じ。フィルムカメラならたまに使ってあげることで内部のネジなんかが滑らかをキープする感じがするし、外側の各部の艶なんかも日光や手の脂がいい影響を与えている気がする。
デジカメであれば、やはり通電。電子基板に適度に電気を通してやること、バッテリーも然りで充電や放電が機械の寿命を長くしている気がするのだ。まあ、あくまで素人の感覚的な見解だけど、そんなことを感じずにはいられないのだ。
何年も使わずにいると、いわゆる「ヤレる」というのは、モノの宿命なんだろうね。例えば住宅なんかでも、人が住んでいない家は一気に古めかしくなる気がする。車なんかもそうだよね。長らく乗られていない車は急激にスクラップされるようなみすぼらしい感じになる。
ちょっとオカルト的な話かもしれないけど、太陽光線を浴びたり空気に触れることが機械や建造物にも必要なんだろうね。呼吸をする感覚とか光合成する感覚。機械も「生きてるんだ」と感じずにはいられない。
今朝は、僕はLeica M8と初代沈胴ズミクロンを持ち出したんだけど、本当はPENTAX K-3IIIを持ち出すつもりだったのだけど、ふとM8に入れっぱなしのバッテリーのことを思い出して、ちょっと電気を通してやろうと思ったのだ。
M8も、もうかなり古い機械だから、長持ちさせたいしね。そのあたりは気を遣っている。
そういう意味では、適度にローテーションして使い回すことが可能な数が所有カメラの適正な数量だとも言える。「使わないと実用カメラとして維持できない」のだ。時には断捨離というのもポジティブに必要なのかもしれないね。
まあ、僕は過去に断捨離をニ、三度やって、ちょっと後悔などして、再び同じカメラを買い戻した経験があるから、あまり断捨離はしたくない人間なのだけど。でも、最近は「増やす時は、何かを減らす」というのも意識してる。ローテーションできる数をなんとなくイメージしながら。
フィルムカメラなんかはいまだに相当数のモノを所有してるんだけど、明らかにフィルムで撮る機会は減ってるから、せめて日光浴させたり空シャッターを切ってあげなきゃ、と思っている。空気に触れること、動かしてやることで、モノだけど呼吸するような気がするので。
そこまでして古いモノを維持する必要があるのか?という考えもあるかもしれないけど、僕の場合はやっぱりクラシックな佇まいのカメラたちは最上の癒しであり、心を落ち着けて写真を楽しむことができるフレンドリーな道具だから。
眠らせずに、動かす。これに勝るメンテナンスは無い。それがカメラを長持ちさせるじぶんなりのルールである。
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