PENTAX K-3 Mark III

PENTAX K-3 Mark IIIが「やるなあ」と思ったいくつかのコトについて。

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PENTAX K-3 Mark III, DA 20-40 Limited

ここ数日間、手に入れたばかりのK-3 Mark IIIのことを知ろうと、記事や資料を調べたり、開発者や写真家の方々の動画を見たりと集中的にブログも書いたので、興味のある人は以下のブログ記事を読んでもらえればと思う。

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これまで味わったことのないグリップの気持ちよさ。PENTAX K-3 Mark III 手に入れたばかりのK-3 Mark III。その感触の素晴らしさについて書きたいことは山ほどあるんだけど、まずはじめに触ってみて...
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PENTAX K-3 Mark IIIの「銀残し」で撮ってみた。 まだ全然試し撮りの真っ最中というか、試したいことが山ほどあるんで、一生試し撮りなんじゃないかとも思えるけど、その途中経過として「...

で、そんな記事たちを要約して、さらにその後使って感じたことを、以下にざっとコンパクトに抜き出してみた。まだまだ今後もいろいろ発見が続きそうだけど、ひとまず現段階の要約ということで。

①「撮る楽しさ」に全集中して開発されたK-3 Mark III

まず、なぜこのミラーレス機全盛時代に、一眼レフでしかもAPS-Cなのか。それは、撮るプロセスについては一眼レフのほうがシンプルに「楽しいから」だ。でも、持ち歩くなら当然、小さく軽いほうがいい。つまり、小さくても十分に性能をフルに詰め込めると判断された結果、ギュッと引き締まったまるでアスリートのようなAPS-Cボディの化け物が生まれた。

②手にとれば一緒で分かる、恐ろしいまでの超絶グリップ性能。

このK-3 Mark IIIが只者じゃないカメラであることは、撮る以前から分かる。手にとるだけで分かる。決して大袈裟ではなく、ここまで手に吸い付くグリップ性能のカメラを僕は知らない。PENTAX開発陣によると、最後までその形状が決まらないのがグリップ部分だと言うくらい、そこに尋常ではない技術が施されている。まさに、手の一部であり体の一部になるグリップなのだ。

③ファインダーは大きく明るいだけじゃなく、真骨頂はその「キレ」にある。

K-3 Mark IIIの前評判としてよく聞かれるのがフルサイズ並みのファインダーの大きさだろう。けれど、それは物理的なサイズの話であって、撮る楽しさの観点でいえば目的は「ファインダーの中で心躍るかどうか」だ。PENTAXが目指したのは、MFでもピントの山が恐ろしく掴みやすい、キレのあるが前提の大きく明るいファインダーだった。

④美しいペンタ部を何十年も維持するために、ストロボやGPSを廃して全面マグネシウム合金で覆った。

いや、こんなこと、普通考えるだろうか。ストロボやGPSが今回から廃されているのは、それらが入るとどうしてもペンタ部の一部をプラ製にする必要があり、それが経年劣化でテカる現象が出てしまう。いつまで美しく使ってもらえるために、それらを廃してまで、ペンタ部すべてをマグネシウム合金で覆いたかったと。シビれるエピソードとはこの事だろう。もうほんと、PENTAXありがとうと僕は言いたい。

⑤背面モニターは固定式。それゆえに故障のリスクと厚みを減らし、背面モニターに鼻の脂がつかないファインダー接眼部を実現した。

これも、その優先した事項の定め方にシビれる。今の時代、普通は背面モニターは可動式が当たり前である。けれど、動画機能よりもまずスチール撮影を優先する人にとっては「ファインダーをのぞいて快適に撮れること」こそが最優先順位だ。それをPENTAXはやってのけた。実際使ってみて背面モニターが可動式でない事で困るシーンは僕は皆無だ。それよりもせり出した接眼部のおかげで背面モニターに鼻がつかない言葉想像以上に快適である。

⑥そのカメラらしいフォルムは、いつまでだって眺めていられる。

PENTAX K-3 Mark III, DA 20-40 Limited

見ての通り、圧倒的にそのフォルムがカッコいいのだ。カッコいいなんて子供じみた言葉だと思うかもしれないが、カッコよさというのはある次元を超えたレベルになると、それはもはや形だけの概念の言葉ではなく、存在感とか佇まいを賞賛する言葉になる。K-3 Mark IIIのフォルムは、まさにその域だ。

BMWのデザインが「停車していても、疾走しているようなデザイン」と言われるが、まさにK-3 Mark IIIも、ただ目の前に置いているだけでもシャッターを連写しているかのような道具の高揚感が溢れ出ている。こんなカメラはそう無いと思う。

まだまだあると思うけど、以上がきょうの時点での僕が要約したかったポイントだ。銀残しに続いて「里び」といった特徴的な描写のことも惚れ惚れしつつあるが、その話はもっと写真を撮りまくった後に、このブログでいずれまた紹介したいと思う。

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