FUJIFILM X100V

X100Vと出会えたことは、とても感謝している。

FUJIFILM X100V

この週末はFUJIFILM漬けだったかな。X-M1、X-Pro1、X-T2と過ごすことで僕のカメラとの日常は十分満たされたからね。あいかわらずフィルムシミュレーションの奥深さにはハマっていて、富士フイルムという会社が思い描く現代カメラの世界のありようみたいなものをじぶんなりに考察しているだけでも興味深い。

そんなFUJIFILMの深さみたいなものを考えるきっかけを与えてくれたX100Vには、ほんと感謝してる。このカメラと出会わなかったら、僕の中でFUJI機はオールドレンズ を楽しむための、つまりレンズが主役であるところの脇役なカメラとしか認識せずに終わっていたかもしれない。

写真の描写は、フィルム時代であればフィルム銘柄とレンズが形成するとよく言われたし、デジカメ時代ならそれがセンサーとレンズに置き換えられたとも取れるけど、でもボディってやっぱり大切でね。僕はこれ、フィルムで撮る時から感じていたことで、目の前の光景を咄嗟に撮る時の心持ちとしては、ボディが五感に与える影響はけっこう大きいぞ、という思いがずっとあったんだよね。

X100Vなんかは、まさにそういう感覚をもう一度、僕の中に芽生えさせてくれた。最新のフィルムシミュレーション「クラシックネガ」を体験したくて手に入れたX100Vだったけど、このカメラの本当の真髄は「写真がもっと撮りたくなる」という、そのサイズや感触、常に持ったり眺めていたいと思わせるボディのあちこちが僕の五感に突き刺さったわけだ。

僕のようなアマチュア写真愛好家はプロじゃないわけだから、四六時中カメラや写真中心で過ごせるわけじゃない。生活や仕事を営みながら趣味としての時間で、カメラと戯れている。つまり強烈に撮りたい何かとか、触りたいと思わせるエモーショナルな感覚がないと、少し気を抜くと写真を撮ることがどんどん後回しになる。

いや、カメラは趣味でサブだからそれでいいわけだけど、趣味だからこそシャッターを切ることに癒されたり満足感を与えてもらうことで、また生活や仕事が頑張れるとも言えるわけで、実はとにかく撮ることが大事だったりする、僕の場合はね。だから、何か決心を必要として撮るようなカメラであるより、常に空気のようにじぶんのそばにあってラフにシャッターが切れるカメラが大事なんだ。

その点でX100Vは恐ろしく合格なんだ。心かまえずにいられるカメラでありながら、本格的に撮ることは妥協せずにいられる。こんなカメラ、よくぞFUJIFILMは手を抜かずに送り出したなと思うわけである。いや、そんな隙間を埋めるカメラというよりは、初代X100がXシリーズの原点であったように、現代においてもX100VこそがFUJIFILMの現行ラインナップの要的存在なのかもしれない。

たかがコンデジに何をそんな大袈裟なことをいってるのかとか言われそうだけど、これが僕の現在の偽らざる思いなのである。たかがカメラだけど、されどカメラ。そういう思想をしなやかにぶつけてくるFUJIFILMというブランドに、僕はけっこう大きなリスペクトを感じているところなのである。

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