
この写真は僕が今朝、散歩に持ち出したOM System OM-3。いまにも雨が降りそうだったので、自室で防塵防滴のカメラにしようと考え、窓の外とにらめっこしながらこの愛機OM-3を惚れ惚れしながら眺めていた。
いや、カメラは写真を撮る道具にすぎないといえばそうなんだけど、眺めているだけで心が躍ったり、癒されたりするカメラというのはなかなか凄い存在なのだ。
たしかに、僕はフィルムカメラを思わせるようなデザインやフィーリングのカメラが好きだ。けれど、それは単に懐古主義でそう感じてるだけじゃなく、いかにも「写真機」らしいその形や存在感は、人々の五感に作用する黄金比のような普遍的なカタチだからと感じている。

ここ最近、レトロデザインとかヘリテージデザインという名のもと、クラシックなスタイルのカメラが続々と登場し、人気を博しているのも、単なる一過性のブームではないと思っている。それは、世代とか属性とかを超えて、誰が見ても心地いい佇まいだから、なんだろうと。
完成された機能美とも言えるかな。なにか余計なものを配したデザインではなく、物理ダイヤルにしても「撮る仕組みや構造」をシンプルに追求した結果のレイアウトでありデザインだから、フィルムカメラ時代を知らない人でも、カメラに詳しくない人でも、その造形に自然と納得感を抱くのだと思う。
ちょっと個人的にうれしいのは、ここ最近の富士フイルムが発表するカメラに、そのあたりのポリシーだったりこだわりが垣間見れること。
ラージフォーマットのGFX100RFにシャッタースピードダイヤルが設けられたり、昨日ティザー動画が流れた「ハーフサイズ」や「フィルムテイスト」を感じさせる新型機種の予告なんかを見ても、富士フイルムの「らしさ」が強く感じられるのだ。
写真を写す道具には、それぞれの目的に沿ってそれぞれのタイプや性能のシステムが用意されているわけだから、すべてが写真機らしくあれというわけじゃない。けれど、ラインナップの一角には、必ずこの王道的なクラシック(スタンダードかな)ラインがあることが、時代やトレンドに左右されない製品として、カメラ界を豊かなものにすると感じている。

キヤノンさんやソニーさん、ペンタックスさんあたりからも、デジカメではあるけど「王道的な写真機テイストのカメラ」が出てくることを期待してるというか、祈ってる。
そうなった時には、もはやブームではなく、本当の意味で普遍的な存在になるんじゃないかな。競争ではなく、共に共鳴しあってカメラ界や写真を撮る文化を豊かにしていくチカラ、といってもいいかな。僕のいまの最高の楽しみである。