2020年もいろんなカメラやレンズを試してみたけど(数えると悲しい?ので、あまり過去を振り返らないようにしたいけど笑)、まあやはりいちばん印象に残る出来事になったのはFUJIFILM機たちとの出会いであり再会かな。
僕はずっとじぶんを「Nikonのひと」と思ってきたけど、意外と「FUJIFILMのひと」だったのかなと、人生を再認識してるところだから笑。
でも、考えてみるとFUJIFILMは僕にとって馴染みのブランドでもある。そう、フィルムで撮り始めてからというもの、FUJIFILM 業務用100は常に僕といっしょだった。FUJIFILMとは、写真の原点みたいな刷り込みがじぶんの中にあるのかもしれない。
そんなフィルムが、ここのところ、さらに先行きが厳しくなってきた。FUJIFILM 業務用100も今では販売終了となったしね。その他のフィルムも軒並み価格が高騰していて、手軽なお小遣い感覚でフィルム撮影を趣味にするのもなかなか辛くなってきた。
そんな、フィルムへの思いみたいなものを誰よりも強く持っているのが、FUJIFILMというブランドなんじゃないかと思い始めたのかもしれない。カメラやレンズに求める大きさ、重さ、クラシカルなルックス。そしてなりよりもフィルムをリスペクトしたその描写。
FUJIFILMだって企業だから、かつてのようには儲からないフィルム事業をいつまでも続けるわけにはいかないけど、だからといってフィルム文化をおざなりにしているどころか、むしろフィルム文化を強く崇拝しまくってる、そんな風に考えるようになったんだよね。
実際、FUJIFILMのカメラたちを触って気持ちいいのは、あのフィルムカメラ時代のジャストフィット感を手と脳が感じとるからじゃないかと思う。そのサイズ感を維持するためにAPS-Cセンサーをチョイスするその感覚、それこそがフィルムを崇拝するクレイジーな企業の証なんじゃないかと思う。
X100、X-Pro1、X-T2、X-E3、そしてX100V。どれも気持ちいいくらい僕の手の中に吸い付くジャストサイズだし、フィルムシミュレーションの奥深さもジワジワと僕の心の中を侵食しつつある。それは、単にスペック競争という進化を追いかけてるというよりも、ある意味フィルム文化を継承し続けている結果だと見える。
カメラとはエモーショナルでフィーリングを再重要視するプロダクトなんだなとあらためて思う。2021年も、僕はこの心底フィルムライクなFUJIFILMに魅了され続ける気がしてる。こういう時間に巡り会えて、本当に感謝しているのである。