Leica M8

初代ズミクロンで撮る、なんとも言えない癒し。

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Leica M8, Summicron 50/2 1st

僕の場合、カメラもレンズもだが「新しいから欲しい」という欲求はまったく無くて、年代を問わず「じぶんがビビっときたモノ」が欲しいというのが基準だ。

その「ビビっとくる基準」のものさしみたいになっているのが〈クラシックなスタイル〉だったりするので、おのずと古い年代物の機材か、現代のものでもクラシックな香りのする機材が多い。

なかでも「初代」というモノに弱い。弱いというか、その初代が強いからというか、初代なモノは開発者の思いみたいなものが色濃く反映されているものが多いと感じる。その後に各部がリファインされた後継モデルの方が写りとしては優秀かもしれないが、僕的には荒削りでも前者のほうが好みなのだ。

このズミクロンも初代型と呼ばれるもので、正確には沈胴ズミクロンの後に出てきた固定鏡胴のリジットタイプだが、描写的には初代のレンズ構成で、1950年代という今から70年ほど前に作られたレンズ。

いまだに写りのシャープさを評価する声はあるが、とはいえ最新の現行レンズに比べれば当然、その精巧さは劣るはずである。けれど、この初代ズミクロンで撮ると、妙に心が穏やかになれて、撮っていて「癒される」という感情を抱くのである。

僕がそう感じるレンズとしては、他に同じくライツ時代のエルマーとズマロンがあるが、それでもズミクロンがよりそう感じるのはF2という開放のほどよいボケ感と、初代M型ライカのM3の代表的レンズということが大きいだろう。

そう、僕的にはデジタルで撮っていても、初代ズミクロンをつけている時は、気分はフィルムライカM3で撮っているような気分なのである。ボディがM型デジタルの初代であるM8であることも、僕の中でフィルムとデジタルの過渡期をシンクロさせているようなところがある。

その初代ズミクロンとM8で撮った写真は、過去記事かTwitterアカウント、もしくはInstagramのスナップ用アカウントのほうで見てもらえればと思うのだけど、特になにか映える写真が撮れているわけではない。

それは僕の腕前が足りていないこともあるが、なんてことないその平凡とも言える描写のなかに、僕的には言いようのない穏やかさと癒しを感じるのである。非常に特殊な歓び方だとじぶんでも思うけど、それが素直な感想だ。

でも、なんというか、心象風景としてはいちばんその通りに写る気がするのだ。目の前のそのままの光景かどうかは別として、僕の心の中に見えている目の前の光景イメージが、初代ズミクロンだといちばん伝わる感じがするのだ。とても不思議な点なんだけど。

もう少し華やぎという点でいえば、FUJIFILMのXシリーズで撮る描写が好きだったりするのだけど、それとも少し気分的に異なる「フィルムライカで撮っているような気分」といえばいいだろうか。

このあたりは言葉で表現するのはむずかしい。もっと言えば、描写のことというより、撮っている時の心情だったりするので。でも、いろんな要素を内包して、トータルとして異常に癒されているじぶんがいることは、現代においておもしろい現象だなと思う。

来る日も来る日もデジタルだのハイテクな嵐に見舞われるような毎日のなかで、ちょっと人間らしさとかアナログ的な機械の温度感のようなものを感じる瞬間。それが、いろんな意味で癒しを感じさせるのだろうと解釈しているのだけど、どうだろう。

人それぞれ、いろんなじぶんの癒やし方があると思うけど、それが僕にとっては初代ズミクロンなんだろう、と思う今日この頃。さて、あなたにとって現代とバランスをとる癒しとはなんだろうか。

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