カメラへの思い

デジカメに飽きたら、光学ファインダー機を持つといいかもね。

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Leica M typ240, APO-Ultron 90mm f2

デジカメに飽きるということが僕には想像できないので、これは単なる妄想話なのであしからず。まあでも、デジカメに飽きるのか、カメラで撮影すること自体に飽きるのか、たまに「最近、写真欲が落ちて、あまり写真撮っていない」という声を耳にすることがある。

ここからいきなり妄想だが笑、それはたぶん「綺麗に撮れすぎる病」だったり、「意外性の欠乏症」だったりするんじゃないかなあ。これ、若い人が「スマホカメラは綺麗に撮れすぎてつまらないから、フィルムカメラやオールドコンデジの写りがいい」というのと、根本は同じかもしれないね。

僕もスマホカメラに関していうと、現行のiPhone16の高性能カメラより、iPhone初期の3GSのカメラで撮る写真が好きだったなあと。上手く言えないけど、その曖昧でゆらぎの感じられる写真が好きだった。それからすると、現行のiPhoneカメラはAIで擬似的なボケなんかも作れる優れものだけど、つまらない。まあ、個人の感想だけど。

Leica M typ240, APO-Ultron 90mm f2

その点、光学ファインダーはいいぞ。正確にいうと、デジタル一眼レフの光学ファインダーは曖昧どころか相当リアルでフレーミングも正確だけど、レンジファインダーの光学ファインダーはピントも画角も実に曖昧だ。けれど、ライカ使いの趣味人たちはおそらくそこに惹かれている。

素通しのガラスをのぞいてじぶんの脳でイメージングする写真と、実際に撮れる写真のギャップというか意外性にキュンとくるのだ。まあ、ライカを仕事に使うような達人の場合は知らんけど、少なくともアマチュアの僕なんかはそうだ。その意外性というかいい意味でのズレが、僕の未熟な撮影技術を超えた写真をたまに吐き出してくれるのだ。

FUJIFILMのハイブリッドビューファインダーのOVFなんかもそうだね。あれなんかは、レンジファインダーのように二重像を合わせることすらできないから、AFレンズを使うか右下にピント液晶小窓を出さないと、ピントがどこにあってるかさえもわからない。でもね、その目測感覚が楽しいのである。

FUJIFILM X-Pro3, Voigtlander Nokton 23mm f1.2 SC

そんなだから、曖昧の極みでもあるようなFUJIFILM X halfが、日常スナップ機として人気を博するのもよく分かる。パララックスありありの素のガラスのファインダーはまさに曖昧だし、背面モニターを見たとしても小さすぎてどこにピントがきてるなんかもわからない。そんなことはどうでもよくなるのである。目と頭はとにかく被写体であり目の前の光景に集中するのだ。

だいたい、スナップなんでものは、ピントが合い過ぎたほうが違和感があるというか、リアリティが飛んでしまう。目測なり絞ってパンフォーカスで撮って、ピントが合っているように見えるくらいのゆらぎがあるほうが、その場の空気感としてはリアルだ。

そう、究極を言うなら、デジカメに飽きたら、フィルムカメラに持ち替えるのが最強ではある。ぜんぶ光学ファインダーだし、そこで眺める光景とは必ず同じではない写真が撮れる。なんなら、AFや露出もより曖昧なフィルムカメラ、安ければ安いほど楽しいだろう。正確に撮ることより、楽しく撮ることのほうが趣味人には大切なのだ。

FUJIFILM X half

まあ、きょうも勝手なことを書いているが、僕がクラシックなスタイルのカメラを好む根本の理由はそういうところにある。もちろん、クラシックなデザインなども好きだが、根源的には写真が持つ曖昧さとか意外性の部分をできるだけ味わいたい、というのが「写真機の醍醐味」だと思っている。

人間は、見たことがないもの、一見分からないものが見たいのである。さあ、「良く写る」というのは別に「緻密に写る」ことばかりじゃないことに立ち返り、弱点どころかストロングポイントの曖昧さを持つ写真機たちとスナップを謳歌しようじゃないか。




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