PENTAX K-3 Mark III

世の中はCP+2026で出展メーカー各社とも大いに盛り上がっているので、そちらのほうは僕がブログにとりあげるほどのこともないだろうということで笑、僕のほうはPENTAX/RICOHのことなんかにちょっとふれてみる。

PENTAXやGRを扱うリコーイメージングがCP+に参加していないことは多少淋しい気もしないでもないけど、実際CP+は新製品や新サービス訴求てんこ盛りの場だったりするから、そういう先端テクノロジーを軸とする競争合戦みたいな土俵に無理矢理あがらなくてもいようには、たしかに思う。

それはそれで、わが社の歩む道はちょっと異なる、というメッセージに見えなくもなく、むしろちょっと応援したくなるから不思議である。

このブログにPENTAXの記事が増えたのは、K-3 Mark IIIを手にしたことがきっかけである。当時、世の中が一気にレフ機からミラーレス機へとシフトしている最中で、僕もいまさらレフ機の新製品を手にする必要があるのか!?と発売から一年ほど悩んだ末、思うところあってK-3 Mark IIIを手に入れた。

PENTAX K-3 Mark III

以来、K-3 Mark IIIにゾッコンどころか、新旧の製品まで目が行き、結果PENTAXにゾッコンというわけである。

理由は、言葉であげると「光学ファインダーが〜」とか「官能的なシャッターフィールが〜」とかっていう項目が並ぶわけだけど、本当のところはそういう部分的なことの集合値というより、もっとインスピレーション的な歓びを感じる印象だったりする。

PENTAXで撮ると、なんか楽しいのである。

いや、楽しいなんてあまりに中庸で、なにも言えていないともとれるけど、PENTAXを使ったことがある人ならなんとなく同じ感情を抱くのではと思う。一度、PENTAXユーザーになると長きにわたってファンとなる向きもそういうことなんだろうと、僕なんかは理解している。

Pentax SPF, Super Takumar 55/1.8

それはフィルム時代のAsahi PENTAX SPやTakumarの頃からも感じるもので、精巧とか堅牢でいうとNikonやCanonのカメラがいかにもな質を体感させてくれるなかで、PENTAX SPなんかで撮るとなんか遊びも感じられて「楽しい」で選びたくなるあの感じ。

いや、精巧な道具としてチョイスしていた人もいるだろうから、これはあくまで僕の印象なのであしからず。でも、単にプロ機からのブレイクダウンじゃなくて、そういう趣味として使う道具としての「撮る楽しさ」みたいなことに立脚して作られていた印象が僕の中では割と強いのである。

そんなPENTAX機の残像みたいなものが、K-3 Mark IIIにもしっかり宿っていたことに、僕は感激したのだろうと思う。世の中がハイテク軸にまっしぐらな感じの中で、カメラに感じていた「楽しさ」みたいなものが、おお、ここに残っていたのかと。

あやうく忘れそうな感覚だったわ、というカメラとの向き合いの楽しさを、K-3 Mark IIIが思い出させてくれたようなね。そう、僕は新しいモノが欲しいんじゃなくて、楽しいモノが欲しいのだという気づきであり再認識。

もちろんビジネスの世界は数字を上げてナンボだとは思うけど、そういう数字はなにもスペック競争みたいな軸の上だけにあるわけじゃない、というのを僕は感じるんだな。そして、それはPENTAXにも。

PENTAX K-1 Mark II

だから、無責任なエールというのは自覚したうえで「PENTAXもがんばれ」と言いたい。独自の舞台で、独自の思想と発想で。この話に結論は特に無いのだけど、なんかね、CP+で新しいモノにお腹いっぱいになると、ふとPENTAXのわが道みたいなのも歩きたくなるのが人間なのだ。

さて、PENTAX機を引っ張り出してきて、ちょっとたわむれるか。あの感触と。