PENTAX K-3 Mark III

カメラというのは道具だから、撮りたいモノや状況によって必要とする道具を想起する、という存在だ。それは逆にいうと、その道具を手にしたらじぶんの日常はどんなふうに変わるのか、というイマジネーションを掻き立てるアイテムでもある。

そこが、カメラの素敵なところだと思っている。

ひとつのカメラを手にすることで、日常の過ごし方ががらりと変わった、なんて声を耳にするのも珍しくない。上手く言えないけど、僕はそれを「人間の本能のなかにある冒険心のようなものが目を覚ます瞬間」なんじゃないかと思っている。

ここでいう冒険心とは、なにも絶景が広がる秘境に足をのばすとか、過酷な自然環境の中に身を置くとか、そういうことではない。いや、そこまでいけばもちろん素晴らしいが、なにげない日常のなかでなにか新しい小さな野望が動き出す、それもまた冒険心だと思うのだ。

そう、子どもの頃に抱いていたような、あの小さな好奇心の連続のような冒険心。大人になると、なぜかあの頃の冒険心みたいなものが少々おとなしくなる。そりゃ、子どもの頃のように遊んでばかりじゃいられないからあたりまえなのだけど。

でも、そういうちょっとこじんまりまとまりがちな日々に、カメラという道具を放り込めば、けっこう刺激剤になったりする。光と影というこの世を創造する原点的なことに気がついたり、四季のかすかな変化にふっと心奪われたり。撮る人と撮られる人の間にコミュニケーションが生まれたりとかね。

もちろん使い方次第だけど、スイッチが入るひとは、カメラ一台を手にすることで途方もなく人生の冒険心に火がついたりするのがカメラの魅力だったりするのだ。

なにも数百万円のクルマを買うようなことじゃないし、世界一周に出かけるような予算をかけることもなく、大人のいい趣味の範囲の散財で現実的に考えられるのも、カメラという道具のいいところだと思う。

少なくとも僕は、カメラと出会って、人生が少々刺激的で、それまでより間違いなく豊かなものになった。大人になってちょっとなりをひそめていた冒険心が目を覚ました感じがするのだ。

カメラにはけっこう魔力がある。ずっと使い続けていて飽きないのは、なにか日々、前進しているものがあるのだろうと思っている。それが何かは明確には言えないが、それが誰しも人間のなかにある冒険心というものなのだろう。