カメラへの思い

こだわりを貫くカメラへのリスペクト。

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RICOH GR digital III

僕はカメラメーカーの人間じゃないから、これはあくまでアマチュア写真愛好家の目から見た感想であり想像でしかないのだけど。

例えばこのRICOH GRシリーズなんかは本当に貴重な存在で、中身は年々進化しつつも、機能美をカタチにしたそのデザインと操作性は長年ほとんど変わっていない。

こうしたプロダクトデザインなんかに関わるデザイナーさんとかだったら、新型にアップデートする際に多少は「変えたい」という衝動にかられるんじゃないかと思うけど、何かの動画を見た時にも「いかに変えないかを考えている」と開発者の方が発言されていたように思う。

デザインというのは表面的に変わった感が分かりやすいから、いろんなプロダクトがまずはそこを一新しようとするわけだけど、そこを「変えない」と判断する自信みたいなものが僕なんかはとても気持ちよく感じる。あ、すでに完成形の使い良さなんだ、と思ったりしてね。

かといって、なんでもかんでも変化のないモノがいいと言ってるわけじゃなくて、他所とは異なるとんがったオリジナリティを持つ製品が「他所に流されずに変わらない」というのが精神的にもカッコいいということ。

いや、むずかしいと思うよ。カメラメーカーだって営利目的の企業だし、そのなかで働いている開発陣の人たちだって勤め人であって、世の中の流行り廃りみたいなものを常に感じながら製品を世に送り出していくわけだから。そこで「流されない」ということがどれだけ大変なことかは想像がつく。

カメラに限らずなんでもそうだけど、誰からも一定レベルで好かれようとすると、どうしてもとんがった部分が丸みを帯びて、ちょっとぼんやりとしたスタイルになる。進化を「その機能美の磨き上げ」と解釈できるブランドとは、その姿勢だけでもうもの凄いのである。

きょうの話は、例としてRICOH GRを取り上げたけど、なにか特定のカメラの話をしたいわけじゃない。でも、あえて言うならFUJIFILMには頑張ってほしい。Xシリーズが立ち上がった時から放ってきた個性や思想をもとに、その存在からして独創的なカメラブランドでいてほしいという願望かな。

あくまで世界の片隅の一ファンの願望だから、このブログを見かけた人には軽く受け流してほしい。でも、まあ、単なる好きじゃなくて「激しく好き」というレベルというのは、そういうもの。世の中には尖った成分も必要なのである。

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