PENTAX K-3 Mark III

何度聴いても魅せられる、K-3 Mark IIIのシャッターサウンド。

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PENTAX K-3 Mark III

いわゆるカメラ好きと呼ばれる人は、ほぼ間違いなく「シャッター好き」と言っていいんじゃないだろうか。別にいい写真が撮れればシャッター音はなんでもいいはずだが、そういうわけにはいかない。シャッターが頭蓋骨に響き、耳に武者震いのような振動を与えるあの感じが、僕らを恍惚とさせるのである。

近年のミラーレス機はずいぶんとシャッター音も洗練され、ほぼ無音に感じるカメラも少なくないが、それはよく言えば洗練であり場所を問わないサイレントシャッターであるが、悪くいえば武者震いに欠ける。いたずらに大きければいいというわけじゃないが、脳を震わせる一瞬の興奮を僕らは感じたいのだ。

そんな人には、まず間違いなく、K-3 Mark IIIのシャッターサウンドが効くはずだ。今となっては数少ない現行レフ機となった、ある意味孤高のカメラ。しかしながら、それは単に古いシステムに固執しているというよりも、カメラとして譲れないエモーショナルな瞬間を守り通しているようにすら感じる。

実際、フルサイズと遜色ない大きく眩しい光学ファインダーを覗きながら、吸い付くようなグリップに指を這わせてシャッターボタンを押す一連の行為は、これぞカメラと言わんばかりに撮り手の本能みたいなものを呼び起こす。そして、脳に響くのである。ジッとソリッドに鳴り響く、ある意味現代的な独特のシャッターサウンドだ。

PENTAX K-3 Mark III, FA 43mm f1.9 Limited

僕はこのK-3 Mark IIIのシャッターサウンドが大好物で、部屋でメンテナンスで触っていると、ほぼいつも空シャッター(正確にはデジカメだから空シャッターではないが)の連続になる。あまりに心地よくて、いつの間にか何度も何度もシャッターを切るひと時が続くのである。

それは、フィルムカメラの空シャッターを切る、あの心地よさと同じだ。たとえデジタルでも、そこはペンタプリズムと国内初の一眼レフ機を世に送り出したPENTAXならではの、根底に継承されたエモーショナルな酔いではないかと思っている。でなければ、ここまで人間の本能をゆさぶるサウンドにチューニングしなくてもいいはずだ。

部屋の中で聴く綿密なシャッターサウンドも気持ちいいが、屋外に持ち出して空気に包まれた中で響くマットなシャッター音もまたいい。当然ながらそこまで計算されたであろう素晴らしい音色とショックが、撮影リズムをよりよくする。この感じは、僕がこよなく愛するFUJIFILMのカメラたちにもない、PENTAXのレフ機だからこその世界だ。

ここまでお膳立てされて、それでもいい写真が撮れない場合は、それはもう完全に僕の腕のせいだ。このシビれるようなシャッターサウンドゆえに、僕もいい画を吐き出さなければいけないという、少しいい意味での緊張感というかプレッシャーを与えてくる感じも、PENTAX K-3 Mark IIIで撮るよい体験かもしれない。

たしかにミラーレス機は進歩した。格段に進歩して、確実にカメラの未来を感じつつあるが、この孤高の一眼レフにも、絶対に失いたくない体験がある。PENTAXはそういうことがわかっていて、企業経営と折り合いをつけながらこの世界を継承し続けようとしている。そういう気迫のようなものが乗り移ったからこその、この五感へのこだわりだと思う。

少々饒舌になったが、これが僕のPENTAX評であり、K-3 Mark III評だ。決してポピュラーではないかもしれないが、同じような撮影体験を求めるどこかの誰かの参考になれば幸いである。

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