カメラへの思い

カメラがあると、この世界はちょっと美しく見える。

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PENTAX K-3 Mark III, DA 55-300 PLM

カメラを持ち始めて変わったことといえば、辺りをよく観察するようになったことだ。家の近所を散歩する時も、仕事の移動や通勤する道すがら、出張の時なんかも僕は何かしらのカメラを常に持ってるから、なんか感じるシチュエーションがあったらシャッターを切ろうと思い、自然と辺りを観察している。

これ、今ではそれが普通になったからあまり特別に感じないけど、カメラを持つ以前のことを振り返ると、移動時間は単なる「移動」で、あんまりこの世界をつぷさに観察するように眺めるなんてことは無かったなと思う。

例えば、朝の斜めの光のダイナミックさとか、影との交錯のユニークさとか、四季の移ろいとか、空の高さとか、路地の人間くささとか。カメラを持つ前は、なにか別の考え事なんかをしながら、特に辺りを気にすることもなく「通過」していたと思う。

FUJIFILM X-Pro3, XF 35/1.4R

いや、それが悪いわけでもない。移動している時間が大切な思考の時間だったんだろうし、移動時間に本なんかを読んでた気もするから、それはそれで人生に必要な貴重な時間だった気がする。けれど、この世界のことは見てなかったなと思うのである。

カメラがいいのは、世界に目を向けることだと思う。それこそ、ジャーナリズム的視点で見る人もいるだろうし、ストリートスナップで少し社会的な視点で世界を見つめる人もいるだろう。こどもの成長なんかを運動会やスポーツ大会の行事でファインダーを通して見つめていくこともある。見方は違っても、とにかくカメラがあることで眼差しが変わるのである。

もちろん、スマホカメラでも写真は撮れるけど、この「カメラを通して見る世界のありよう」みたいなものは、やっぱりカメラじゃないと得られない何か。それは、言葉で綴るのはむずかしいけど、明らかに存在するカメラという道具が持つ特性だろう。

RICOH GR

何かを撮りたいから人はカメラを持ち始めるのだろうけど、逆にカメラを持っているからシャッターを切りたいと思えるものを探すという行為が生まれ始める。そのクリエイティブな感覚を呼び覚ますアイテムとして、人生にカメラを添えて生きることが実用性以上にとても大切で有意義なことなんじゃないかと僕は思う。

いまは誰もが写真を大量に撮るSNSの時代だ。これだけたくさんの写真を撮る人たちがカメラを手にし始めると、この世界は恐ろしくクリエイティブな空気に包まれて激変するんじゃないかとさえ思う。まあ、でもそれも結果論であって、大切なのはたくさんの人たちがこの世界をつぶさに眺め始めるということのほう。

だから、カメラメーカー各社さんにも、カメラのスペック云々のことよりも、「この世界を眺める素晴らしさ」みたいなことをもっとメッセージしてもらえたらなと思う。それじゃカメラは売れないのかな。いや、そういうことこそ、人生になにかしらの影響を生み出す空気をはらんでいて、より人々の興味関心を誘うと思うのだけど、どうだろう。

僕は恥ずかしながら、そういう角度から見たカメラのことを、このブログなんかでも綴っていけたらなと考えている。

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