本来眺めるべきものは撮れた写真なわけだけど、まあやっぱりカメラとレンズはただの撮影道具と呼ぶには魅力的すぎる。どうせ撮るなら気持ちをグッと掴まれる道具と時間を共にしたい。
この写真のカメラはFUJIFILM X-E1で、もう10年ほど前のカメラ。その挙動はたしかに最新のカメラらと比べるとすべてにゆったりしてるが、写真機としてスナップするにはなんら問題ない。
レンズのほうは現代モノのVoigtlander NOKTON 23mm f1.2 SCだが、コシナはそのあたりよくわかっていて、実にこころに突き刺さる「らしい」質感とデザインのレンズを投入してくれる。
まあ、僕がクラシックなスタイルのカメラやレンズが好きというのはあるが、写真というものは撮った瞬間から過去になっていくものだから、やはりヴィンテージなるムードが良く似合うのだ。
こうしたカメラやレンズとひとたびスナップに出かけると、実に心が弾む。エキサイティングな鼓動もあるが、一方でそれと相反する癒しのような感情も同居する。少し古い機械は、さらにその絶妙なバランスを助長する。
ちなみに、このX-E1とX-Pro1は、FUJI機のなかでも抜群に心地いいシャッター音を聴かせてくれる。連写することを求めないゆえに作り出せた音色だろう。この音が聴きたくてこの2台を持ち出すくらいの特別な価値がある。
現代はあらゆるものが効率を重視して、しかも良くも悪くも多様な情報と触れ合う世の中なんで、ぼーっとしているつもりでもマッハのように時間が過ぎていく。そんな日々にひと呼吸おけるのがカメラなんじゃないかと思う。
時に立ち止まり、時に目の前の光景の光と影、情景を考察する。忙しい人ほどカメラはいいし、無趣味なんて人にもこれまたカメラは刺激を与えてくれる。
このブログを読んでくれてる人は、すでにカメラを人生のなかに取り入れてる人だろうから心配ないが、もし周囲に悶々としている?ような人がいたら、カメラをすすめていただきたい。
なんてったって、シャッターを押すだけで世界に一枚しかない「いま」が撮れるのだから。最高すよ、ほんと。
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