古いデジカメという定義もなかなかむずかしいんだけど、どうだろう、7年〜8年以上前に発売されていたようなカメラたちが感覚的にそれにあたるのかな。あとCCDセンサー機なんかが分かりやすくそうかな。
僕はけっこうそうしたオールドデジカメたちを持っていて、ニコンのCCD機だとNikon D70、D200、ニコン最後のCCD機であるD3000なんかがそう。あと、CCD時代のRICOH GR digital IIとIIIを3台持ってる。FUJI機もXシリーズの初代機X100と、レンズ交換式の初代機X-Pro1とかね。もう、たまらないんだよね、その存在とか動作、写りがね。
もちろん搭載センサーなんかも古いから、現行機のように高感度で撮れなかったり、あとレンズも比較的古いものをつけて撮るから逆光性能が甘くてフレアやゴーストが盛大に出たりもするけど、それがまたいいの。というか、精密に撮りたいと思わないじぶんの嗜好にも合ってるんだろうね。
それと何がいいって、その時代のカメラたちは価格も法外に安く手に入れることができる。どうかしたら一万円でお釣りがくるような値段で売られてたりするから、最悪壊れてもいいやとも思えるし、そういうラフさがまたたまらないんだよね。道具の究極をいくような気がしてね。(以下の動画は以前も紹介したオーゼキコーキさんのオールドデジカメレビュー動画)
考えてみると、進化というのは必ずしも高性能化することでは無いんじゃないかとも思える。だって、これだけ世の中のあらゆるモノがデジタルハイテク化されていくと、それは案外息苦しかったりもして、人間の本能がもう少し緩くいたいとか思うわけで。僕はそういうオールドデジカメのクラシックなルックスだけじゃなくて、すべてが未完成な感じがとても心地いい。
というか、かえってそちらの空気のほうに豊かさを感じるのである。なにかが濃い感じというか、作り手という人間たちの思いや熱量が大量にのっかってるというか。かといって単なる懐古主義というのともちょっと違う。昔がいいというより、今これが心地よかったりしない?という感覚なのである。
写真というものは撮った瞬間から思い出となり古くなっていくものだから、それを撮る道具であるカメラも、少し思い出が頭をよぎるくらいのほうが本能としてフィットするのかもしれない。その究極がここ数年のフィルムカメラブームなんだろうし、ここ最近のオールドデジカメへのちょっとした注目の要因なのかもしれない。
古いというより、今の時代にむしろ新しいオールドデジカメたち。少し腑に落ちるところがあったら、ポケットに数千円とか一万円を握りしめて中古カメラ屋をのぞいてみてはどうだろう。で、性能なんか置いといて、直感でフィーリングの合うカメラとレンズを買って帰ってみる。そうすると、意外と大きな生活とか人生観の変化があったりすると思うよ。僕は完全にその経験者だから。健闘を祈ります。
★今日の注目商品をチェック!