
カメラのデザインや佇まいは、直接的には撮れる写真の仕上がりに関係ないかもしれない。けれど、そのカメラに惚れたり愛着があると、カメラを持って出かける心持ちが変わったり、そもそもシャッターを切る機会が増えて、結果的に好きな写真が撮れる可能性が広がるとも言える。
そういう意味では、やっぱりカメラという道具は、単にスペックだけでなく、その存在感みたいなものが大切だなと僕なんかは思う。
カメラという道具にとって、そのデザインとか佇まいというのは単に「形」を意味するのではなくて「機能美」なるものだ。もっといえば「撮影体験美」みたいなものだろうか。そういう意味では、そこに込められた開発当時の関係者の皆さんの動画がとても興味深い。
3年前にXシリーズが10周年を迎えた時に作られた開発秘話動画の前編/後編があるので、ちょっとじっくり見入ってもらえればと思う。
いかがだろうか。やはり、そこにはドラマがある。どんなプロダクトにも開発者たちのドラマがあるが、後発で劣勢のなか追いかける立場の人たちの間では、その熱量がさらに高まる。
いまでこそ富士フイルムはプレミアム感も抱かれる存在になったが、コンデジしか作っていなかった時代からのプレミアムコンパクトへの進化の挑戦は、ある意味、奇跡のようなひと時だったのだろう。
僕が初代機X100の存在にいまだに心を撃ち抜かれるのは、そういう魂がこのカメラに宿っているからだろう。もちろん、もっと高級で高品質のカメラは他にもある。けれど、そういうスペックを超越したところに趣味の写真の世界を煽る、なんとも言えないスパイスが存在するのだ。





10年以上経過したデジタルカメラが、現代においても高値で取引されていることは、多くの人に体験してほしいという意味では素直に喜べないが、その価値がいまも評価されているとも言え、それはこうした開発の苦労を知ると、どこか納得感も覚える。
いいカメラとの出会いは、時としてその人の人生の時間の流れ方を変える。カメラは決して主役ではないけど、それゆえに主役たる人生が少し変わることを側で後押ししてくれるような存在だ。
そして、僕もまた、このX100初代機を眺めながら、少しだけ明日のことをポジティブに想像するのである。カメラとは雑に不思議な道具であり相棒である。
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