FUJIFILM X-E4

APS-CをチョイスしたFUJIFILM Xシリーズの審美眼。

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FUJIFILM X-E4, Nokton classic 35/1.4 II SC

最近、少し古い小型のデジカメを3台ほど手に入れたんだけど、どれもセンサーサイズは小さいわけだけど、街中で遠景のスナップを撮る分にはまったく申し分なくて、特にモノクロームはおもしろいなとあらためて街中スナップにハマっていたりする。

一方で、そうした小型のセンサーのカメラで撮る広角スナップ写真は、どうかしたらスマホカメラで撮る写真とさほど印象は変わらないかも、という気づきもなくは無い。

そう、どうしても写真に奥行きみたいな立体感が出づらいのだ。

僕なんかは単純に「スマホでは撮れないポケのある写真」が撮りたくて一眼レフを始めたクチだから、広角パンフォーカス以外にも道端の草花に寄って背景をぼかした写真なんかも撮りたいと考える。

この「小さなカメラ」が良いけど、それなりに「ポケのある奥行きのある写真」も楽しみたいという、カメラ構造的には相反する両極の二つを実にバランスよく収めているのが、そう、APS-Cセンサーのカメラなのだ。

FUJIFILM X100V

特にAPS-Cのミラーレスカメラは、薄く、軽く、レンズもフルサイズと比べればかなり小さく安く設計できる。そして、そのAPS-Cをフラッグシップ機にまで踏襲したのがFUJIFILM Xシリーズなのである。

僕がここ一年ほどの間にFUJIFILMのカメラたちがメイン機になったのは、ある意味、いろんなカメラを使ってきたゆえに「たどり着いたもの」という感覚がある。

フルサイズの描写は濃厚で魅力だけど、大きく重く、街撮りスナップへ連れ出して撮り歩くには躊躇する。一方で小型のセンサーサイズのカメラは街撮りは重宝するけど、いざ寄って奥行きのある写真までそれ一台でカバーするのは少し無理がある。

そんな僕の求める条件を、見事に一台でカバーしているのが、FUJIFILMのAPS-Cのカメラたちなのである。

同じ類でいうと、APS-CのRICOH GRやNikon Z fcもこれにあたる。なので、僕はFUJI機と同様に、GRやZ fcも街撮りから近所の散歩カメラまでよく連れ出す。

RICOH GR 初代 Limited Edition
Nikon Z fc

カメラにはそれぞれ特徴があるから、複数台のカメラを所有して、シチュエーションごとに大きなカメラや小さなカメラをその都度チョイスすればいいのだけど、ふだんからそこまで複数台のカメラを常に持って行動できるわけじゃない。

そういう、カメラ中心の生活とまではいかないまでも、できれば常に一台のカメラを服を着るように身につけて、ふと撮りたい光景に遭遇したらサッとカメラを取り出してシャッターを切る。そんなことが仰々しくない手軽な感じでできたら、と僕なんかは思うのである。

そういた時にファーストチョイスになるのが、これ以上ない「身軽さと写真の豊かさ」の両方を高次元で兼ね備えたバランス機、APS-Cのミラーレス機というわけだ。

FUJIFILM X100 初代Black Limited Edition

今朝も小型のセンサーのカメラで撮り歩いていたんだけど、帰宅してからFUJIFILMのカメラたちを手に取ってみたら、まあたしかに小型センサー機よりはボディは大きいものの、その手に馴染むギリギリの大きさと重さを保っていることにもあらためて気づく。

うん、僕がFUJIFILMのカメラを始めとするAPS-Cミラーレス機を好むのは、やっぱりこの絶妙なバランスだと再確認するのである。

「シーンを選ばないカメラ」とかってフレーズは良く聞く感じがするけど、本当にシーンを選ばすそれ一台で縦横無尽に写真がそばにある生活を楽しむとするならば、実はそれに合致するカメラはそれほど多いわけじゃない。僕の場合だと、それがFUJIFILM Xシリーズというわけだ。

このFUJIFILMのカメラたちを真ん中の基準にして、それより小さな究極に軽快なカメラ、もしくはそれより大きな本格的カメラといった具合に所有カメラのバリエーションを整えていく。いまの僕のカメラ選びはそんなイメージで落ち着いている。

写真というのは、当たり前だけどカメラを持っていない撮れないものだから、いつでも持ち出しやすいものであることが僕の中ではカメラの最高性能に値する。そして、そこにはできるだけ写真の上質さも犠牲にしないということも。

まあ、これはあくまで僕のたどり着いた基準だけど、そうやって考えるとFUJIFILMの先見性みたいなものにあらためて感心するのである。このブランドはその腹の括り方こそがユニークでオリジナリティなんだなと。

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