カメラというのは本来「脇役」だ。いや、脇役であることすら考えもしない、なんとなく持ち備えて、なんとなくいいなと感じた日常のワンシーンをなにげなく写真におさえることができたら、それが最高だ。
周囲にその存在を意識させず、自然体の表情や仕草を撮れることこそが最高のスナップ写真だからだ。
それでいて、休憩の時にテーブルの上なんかに置いておいたカメラにふと目をやると、辺りの空気に溶け込みながらもそのクールさにちょっとハッとする。その抑えの効いた存在感がなんとも今的でいい。それがFUJIFILM X100Vというカメラだ。
世の中、みんながみんなカメラ好きなわけじゃない。いや、ほとんどの人がカメラに特別な興味がない中で暮らしていると、時にカメラは「マニアックなもの」に見えてしまう。それは、その場の空気でいうと異物に感じるものかもしれない。
けれど、X100Vならちょっとファッショナブルな衣服やアクセサリーのように、必要以上に主張しすぎない存在感でその場の空気に溶け込む。X100Vがグローバルで静かに人気なのは、数あるカメラ製品の中でもその研ぎ澄まされた「さりげなさ」にあるのだろうと思う。
その写りや操作性についても、必要以上に筋肉をつけていない、しなやかなアスリートのようでとても好感が持てる。ガラス素通しの光学ファインダーが選べることもあって、まさにシンプルなフィルムコンパクト機を持ち歩いているような気分だ。
写真を撮るのは好きだけど、必要以上に目立たなく、ただたださりげなく日常のスナップ撮影を楽しみたいという人は実はけっこういるんじゃないかと思う。FUJIFILM X100Vは、マニアックなスペック競争のような世界とは居場所を別にして存在するのだ。
カメラの衰退のようなものが叫ばれて久しいが、こうしたさりげないX100Vのようなカメラが世界的に支持される様子は、なによりもカメラの可能性のようなものを感じる。世の中は軽やかなシャッターチャンスにあふれている。X100Vのようなカメラが、そうした瞬間をさりげなく記憶する世界であると素敵だなと思う。