いや、本当に気のせいかもしれないので、話半分くらいで聞き流してほしい話ではあるのだけど。でも、僕がこれぞと思う人たち、つまり複数人の人がPENTAXを手にしたり、これから手にしようとしてたりするから、僕の中ではけっこうリアルだ。
いまでこそ一眼レフしか販売していない、ある意味ちょっと特殊なメーカーだから、ミラーレスのカメラしか馴染みのない人にはPENTAX機はちょっと異色の存在だ。
でも、かなり以前からカメラと接してきたり、最近でもフィルムカメラに縁のある人なら、PENTAXというブランドは一度は耳にしたり目にしたりしたことがある存在。
ただし、日本には偉大とも言っていいキヤノンやニコンが存在したから、マウントがある程度固定されるという意味では、PENTAXをほぼ経験のないまま過ごしてきた人も多いんじゃないかと思う。
僕もある意味そうで、ニコンでカメラを始めたのもあって、過去にはフィルムカメラのひとつとしてAsahi PENTAX SPなんかにふれることはあっても、デジタル一眼レフのPENTAX機は長らく未体験だった。
だから、僕もPENTAX機が常用カメラのひとつになったのは3年ほど前の話で、K-3 Mark IIIを手にしてからなので、それほど古くからの愛用者ではない。でも、一度PENTAXにハマって以来は、このブログやSNSを見てくれている人ならお分かりのように、すっかりゾッコンである笑
なんなんだろうねえ、この現象。なかなか言語化して伝えるのはむずかしい。もちろん、メーカー名に冠されたペンタプリズムの素晴らしさとか、一眼レフならではの官能的なシャッターフィールを挙げることはできるが、そんな部分的なことでもなく、もっと言いようのない全体としての魅力に包まれる感じだ。
なにをそんな抽象的でふわふわとしたことを言ってるんだと怒られそうだが、この簡単に説明できない感覚こそが魅力の正体だと僕なんかは感じるから、やはり情緒的価値を重んじた製品づくりこそがPENTAXの魅力なんじゃないかと思う。
そういう境地が魅力のカメラといえば、ポジションこそまったく異なるがライカなんかもそうかもしれない。もちろん機能的価値もあるが、それを大きく上回る情緒的価値がそのヒストリーや伝説と共にある。
けれど、もっと言うなれば、PENTAXはライカほど高額じゃなく手に入れられ、過剰に大事にし過ぎることなく、道具としてクタクタに使い倒せるフレンドリーさがある。ライカでもクタクタにさせられる人はいると思うが、個人的にはライカはどこか大事に使い過ぎる貴重品的感覚があるので。
PENTAXは、そういういろんなカメラを使って来た人たちが、一周まわってたどり着く、ある種のパラダイスの発見みたいなものなのかもしれない。実はこんな身近に、こんなに作りにこだわり、こんなに官能的で、こんなに手にしやすい値段のカメラが存在したのか!という発見。
その感覚は、なにも昔からカメラを楽しんでる人たちだけじゃなく、最近フィルムカメラなどアナログ感覚的なカメラに興味があるという若い人なんかにも響くかもしれない。いまは、なかなかPENTAXのデモ機に触れる場所も多くはないけど、一度じっくりと触ってみれば、ビビビとくる人もけっこういるんじゃないかな。ちょっとミラーレスやデジタルデバイスの反動としても。
この話になにか結論があるわけでもなんでもない。ただ、未体験なだけで案外知らないまま過ごしている魅力的なモノやコトというのは、世の中けっこうある。PENTAX機もその中のひとつかもしれないという話。ジワジワと知る人ぞ知るみたいな存在感もまた、PENTAX機の魅力かもしれないけどね。
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