カメラへの思い

デジタルで気兼ねなく「量を撮る」ということについて。

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OLYMPUS PEN-F, Color-Skopar 35/2.5 C-type

なにをそんな当たり前のことを言ってんだ?と言われそうだけど、フィルムカメラを通過した人だと、この「デジカメなら枚数を気にせず撮りまくれる」ということを、良くも悪くもいろいろ考えるところがあるよね。

一般的な35mmフィルムならフィルム一本で36枚、中判カメラだとフィルム一本で12枚しか撮れないフィルムカメラは、いまはフィルム価格や現像代なんかも高価だから、普通の人はそれほどめちゃくちゃにシャッターを切りまくったりしない。いや、普通じゃない、めちゃくちゃフィルムで写真を恐ろしく量産する人もいるとは思うけど笑。

まあでも、フィルム写真の良さとして語られるのは「フィルムだと無駄打ちしない」とか「一枚一枚を丁寧に撮る」ということで、それは僕もフィルムカメラを手にした時は自然とそんな気持ちの「撮影リズム」になっている気がする。

でもほら、めちゃくちゃシャッター切りたい時ってあるでしょ。それは量の中から質を見出すようなことでもあるし、とにかくたくさん撮って学びにするという意味においてもね。そうすると、やっぱりデジカメはすごいなって思うんだよね。フィルム時代にはいろんな人が「枚数を気にせず写真を撮ることができる未来のカメラ」に少なからず期待したんじゃないかと思う。

もちろん、カメラの質感(金属カメラがだんだんと姿を消したり)や写真そのものの描写の質など、いまだフィルムの代わりにはならないデジカメの姿もある一方で、こと撮影枚数については未来への夢は叶っているのである。

僕も一時期はほぼ100%フィルムだけで写真を撮っていた時期があるけど、やはり押し寄せるフィルムコストのこととか、いずれデジカメもないと写真が撮れなくなるんじゃないかという不安とかを考えるに至り、いまではフィルムよりデジタルで撮る頻度のほうが高くなった。デジタルな日々にフィルムを適度にまぶす、そんな感覚だろうか。これはこれで、なんか一粒で二度美味しい的な、現代のカメラ模様を楽しんでいるところがある。

そういえば昨日、林ナツミさんの話題から広がって、上のリンクの記事を読んだんだけど(おもしろいので、ぜひ。)、100m歩く間に数百枚のスナップを撮ることもある、みたいな記述があって、そっか、こんなプロの方々でもそれほどまでの量を撮るのか(いや、むしろプロだからそれほどまでの量をちゃんと撮るのかもしれないけど)と、あらためてデジカメの恩恵をちょっと考えたというかね。ふと、僕も100m歩く間に数百枚シャッター切ろう!と、ほんとなんかエネルギーわいてきたんだよね笑。

なんか、量のところだけをつまみ上げてデジカメを議論するものじゃないけど、でもフィルムカメラを通過した人間からすると、そこはけっこう0か1かみたいな大きな違いだし、ここぞというフィルム写真のために撮影感覚をデジカメで学び倒すみたいなことだってなくは無い、と個人的には思ったりもするんだよね。

そう、僕らはいま、フィルムとデジタルの両方で撮ることができる、実に奇跡的な時代を生きていると。フィルムの描写の味みたいなことに委ねない、構図の学びなんかをデジカメにあえて託したりね。そもそも、量を撮るというのもまた楽しい。僕はいま、そのあたりを思考として行き来している。

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