カメラへの思い

そのカメラやレンズで撮れる色描写や制約が、僕は好き。

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日々使っているカメラたち

なにやらSNSで「彩度を極端に上げる」とかレタッチまわりの話題を見かけたけど、僕個人的には彩度とかほぼほぼ無関心だなあと。

たしかにLeica M8で普通に撮ると彩度が低いなあと思うこともあるけど、だからといって極端に彩度をいじるよりは、M8で撮るということはそういうことだから、そのM8らしさ(M8だから撮れる写真描写)を楽しもうと考えている。

そうだな、じぶんの理想?の描写にレタッチで近づけるというよりは、そのカメラに開発者が込めた描写思想を最大限引き出したいというか、そのカメラでしか撮れないであろう制約とか制限みたいな範囲の中で楽しみを見つけている感じ。

まあ、ダメな写真愛好家かもしれないけど、そういう制約の中で活路を見出すのがゲームのようで楽しいのだ。あと、シンプルに開発者とその思想へのリスペクトということかな。

これはクルマなんかもそうで、僕はクルマは好きだけど、基本的にどノーマルのまま乗っている。カーデザイナーが最初に規定したデザインの妙を楽しみたいと思うし、たとえ非力なエンジンや足回りでも、その基本設計の制約の中で乗り味を引き出したいというのがある。

だから、マイナーチェンジ版より、モデル登場時の無垢な状態が好きだ。あ、そう考えるとカメラも初代機が好きなのはそういう僕の嗜好かもしれない。いや、間違いなくそうだな笑。

カメラはおかげさまでかなりの数が手元にあって、なんとなく満遍なく使うことをイメージして日々いろんなカメラを持ち出している。カメラはほら、適度に使ってあげることが最大のメンテナンスだったりもするんで。

この使い方の場合、ひとつのカメラを奥深く使い込むということがむずかしくはあるのだけど、いろんなカメラとレンズの描写を取っ替え引っ替え毎日楽しむことができる。そうすると、そのカメラやレンズでしか撮れない描写の制約というのが、むしろ気分転換になって楽しく思えるのだ。

まあ、JPEG撮って出しで撮る人にしか当てはまらない話かもだけど、僕にとってはそのカメラの開発者がめざした描写思想がそこに詰まっていると思ってるんで、そこを深掘りしていくことがカメラへの理解につながるのだ。

そういう開発者の思想みたいなものを思い描きながら撮ったりしてると、そのへんの道端の草花を撮るのでもかなり楽しい。じぶんの中の色意識と開発者の人の色意識を掛け合わせて、たとえばこう撮ればユニークな描写になるんじゃないかとか、そんな些細なことで日々の写真が楽しめている。

なにもインスタ映えするような場所へ毎度出向かなくても、写真は楽しめる。そして、案外そういう写真の楽しみ方をしている人も少なくないから、絶景写真じゃなくてもどんどん僕なんかはSNSに写真をポストする笑。そんな平凡な写真にいいねをくれる人たちには、もうほんと感謝しかないのだけど。

カメラやレンズを少数精鋭に絞って楽しみたいと思う時もあるのだけど、まあこんなカメラ好きなんで、結果的にいろんなカメラを使い回すことでその機材ならではの制約を楽しむのがじぶんには向いているのかもしれない。

さて、世はお盆休み期間へ。人混みが好きじゃないんであまりこの時期に混雑する場所には行きたくないんで、人の少ないところを求めて僕なりの写真撮影を楽しみたいと思う。そのカメラの開発思想なんかに思いを巡らせながら。

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