カメラへの思い

一眼レフで撮る快楽は、変わらない。

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PENTAX K-3 Mark III, smc PENTAX-M 50/2

平日はコンパクトズーム、つまりミラーレスで街撮りスナップを楽しんでるんで、その反動というか、週末は少しゆっくり撮ることが楽しいカメラへと手が伸びる。

そういう意味で、一眼レフ機というのは変わらず心地いい選択だ。

といっても特に懐古主義的な気持ちがあるわけでもない。だって、つい最近まで一眼レフが主流であって、誰もが使っていたカメラだから、その延長線上で使い続けている、ただそれだけである。

PENTAX K-3 Mark III, DA 20-40 Limited

考えてみると、フィルムカメラを昔から使っているユーザーの人たちの気持ちも同じかもしれない。その昔は誰もがあたりまえにフィルムカメラを使っていたわけで、それをそのまま使い続けているだけだと。

趣味のカメラは、ある意味「それを使ったり眺めたりしていることで、心が満たされたり癒されたりすること」のためのモノ。最新の機能がイコールそれらを満たしてくれるというわけでもないから、つまりは「じぶんが最も心地いいと思えるモノ」と過ごすのがいちばんなのである。

Nikon Df

僕にとっては、一眼レフのあの自然な光を感じることができる光学ファインダーとか、レフ機らしいシャッター音と振動とかがやはり五感に響くというか、シンプルに心地いい。だから、自然と手が伸びる。そういうカメラと一緒に過ごしたいと本能が求めるのである。

かといって、週末にミラーレス機を使わないわけでもない。SONYの初代α7RやFUJIFILM X-Pro3なんかも持ち出す。共通する点があるとすれば、僕にとってはどれも官能的な気分が味わえるカメラたちであるということ。

一眼レフは、なかでもその官能的要素が濃いということだろうと思ってる。

Nikon Df

カメラメーカーにとっては経営資源を集中するという点で、各社ともミラーレスと一眼レフの共存はむずかしいようで、どこのメーカーもミラーレスへ完全移行する気配にある。

そうなると、このままいけば新品で一眼レフを手に入れようと思ったら、いずれはPENTAX一択ということになるのだろう。

けれど、趣味のカメラとしては、むしろ一眼レフ機のほうが心を揺さぶるものがあると僕なんかは思うんで、何やら時代の流れみたいなもので一眼レフが少し過去のものにされるのはもったいない気がするけど、どうだろう。

Nikon D750

とはいえ、そうした思いをカメラメーカーに無理な注文みたく文句を言ってもしょうがない。僕らが僕らのためにできることは、良いと思えるカメラのことをユーザーの声として世の中に発信することである。

幸い、いまはSNSで各個人が良いと思えるカメラやレンズのこと、写真のことを発信できる環境がある。

単にスペックの話ではなく、そのカメラと過ごすことによって心満たされる官能的な魅力やエピソードの数々を、どんどんポストしていけばいいと思う。

一眼レフにかぎらずだけど、カメラによる写真文化の継承は、その声の多さや大きさにかかっていると思っている。

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