カメラはシャッターさえ切れば目の前にある「いま」が誰にでも撮れるのが凄いところだと思ってるんだけど、一方で写真は撮った瞬間から「過去」になっていくところも実に感慨深い事象だと思っている。
つまり、思い出を記憶する装置みたいなもの。だから、カメラは本質的にレトロな佇まいがよく似合うんじゃないかと思っている。
僕はじぶんでも自覚してるけど、いわゆる軍艦部と呼ばれる物理ダイヤルが入り組んだデザインのカメラたちが好きだ。初めは特に意識することなくフィルムカメラってカッコいいよな、って感じだったんだけど、気がつくとデジカメにもその佇まいを求めるじぶんがいて、気がついたらNikon DfやOLYMPUS PEN-F、Nikon Z fc、FUJIFILMのカメラたちが手元に集まってきて、「あ、やっぱりじぶんはそういう傾向の人間なんだ」と気づいたり笑。
それはただ単にデザインの好き嫌いの問題だろうと言われそうだけど、冒頭に述べたように「写真はそもそも、撮った瞬間から過去のものになっていくもの」という意識があるせいか、レトロでクラシックなカメラを手にするほうが「撮る気がそそられる」のである。
「ソノ気になれる」と言ってもいいかな。たとえば中身はまったく同じ性能のカメラだったとして、僕はクラシックなスタイルのカメラで撮るほうがなんだかいい写真(じぶんにとっての)が撮れる気がするんだな。写真って、実はメンタルが凄く仕上がりに影響するものだと思ってるんで、どうかしたらカメラの性能よりこのメンタルの方が大事とすら思っている。
いや、実際はほぼほぼオートで撮る人が多いと思うんで、例えばNikon Z fcなんかもあんなにたくさんダイヤルが並んでるけど、全然普通にプログラムオートで撮れるから、ビギナーの人にも片手で楽に撮れる。でも、例え使わなくてもあのダイヤル群を眺めることで「気持ちがノル」というのは絶対あると思う。
物理的なことでいえば、M型ライカの特徴としてよく言われるように、電源を入れていなくても絞りやシャッタースピードをセットできることは、次のシャッターを切るまでの準備動作としても有効というのも大きい。オートを卒業して、やがてマニュアルで楽しもうと思った時にも、軍艦部の豊かなカメラは実に頼もしく応えてくれる。
クラシックなスタイルといわれるカメラたちは、もちろんデザイン性に富んでいるけど、機能美としても富んでいるというのが、カメラというプロダクトの妙だと僕は思ったりしてる。
それこそ昨日、フィルムの値上げについてブログを書いたけど、そこでも触れたように「フィルムカメラも楽しいけど、デジカメもまた楽しい」と思えるのは、僕にとってはこのクラシックなスタイルが継承されていることが大きいんだ。
誰もに当てはまる楽しみ方ではないかもしれないけど、写真が本来持つ「思い出」というエッセンスや、それを封じ込めるカメラを「思い出の箱」と考えると、また写真を撮ることの意味が少し豊かになってくるんじゃないかな。
カメラはいまや動画機能も備えたハイテク装置だけど、その進化のスパイスのようにクラシックな残り香が匂い続けていくといいなと思っている。あくまで、僕の考えるカメラらしさの話ではあるけど。
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