PENTAX K-3 Mark III

それでも、PENTAX K-3 Mark III。

PENTAX K-3 Mark III

カメラメーカー各社が本格的にミラーレス機へと移行するなかで、ほぼいま一眼レフを新品で購入することはPENTAX機を手にすることを意味する。

時流的にいえば、古いスタイルのものを手にすることになるんだろうけど、それでもPENTAX機を新たに手にしている人、もしくは購入を検討している人がけっこういるように見えるのは気のせいだろうか。

スタンダード機であるK-70を手にする人、現行機種としてはいちばん最新のK-3 Mark IIIを手にする人、APS-CのK-3 Mark IIIを検討しつつもフルサイズのK-1 Mark IIを手にする人。どの人たちも、共通しているのは異様なくらい幸福感に満ちていることだ。

そういう僕も、デビューから気になっていたK-3 Mark IIIを一年間ほどかけてやっと手に入れた。その時の感慨深さは忘れられないし、その使い心地は期待通りのもので、いまはいちばん使用頻度が高いカメラになっている。

だからかもしれないけど、TwitterのタイムラインにはPENTAXのカメラとその写真が流れてくる頻度も高くて、その目にする多さだけでいえばいちばん売れているカメラブランドなんじゃないかと錯覚する笑。錯覚というと失礼か。

でも、我が道を行くブランドがしっかり熱いファンを保ち、各社ミラーレス連合みたいな世の中で存在感を放っているのは、なかなか凄いことだと思う。

昨日もTwitterのなかで、いま使用している機材をK-3 Mark IIIに入れ替えようかと検討されている人がいたし、K-1 Mark IIIの登場が待てずにK-1 Mark IIを購入したというツイートを見かけた。何度も言うけど、いま、このタイミングなのである。

この現象を言葉にするのは、なかなかむずかしい。でも、普通ならこれから先、主流であり続けるミラーレス機を購入するのが普通なはずで、そんなタイミングでPENTAX機を「あえて」選ぶというのは、相当なエネルギーがそこに発せられているとしか思えない。

これまで一眼レフで慣れてきたからなのか、それとも異常にPENTAXというブランドに魅せられているのか、それとも…。

ちなみに、僕がなぜPENTAX K-3 Mark IIIをここにきて手にしたのかといえば、僕なりにはなるけど「カメラらしさと、その楽しさ」を色濃く堪能したかったから。いま、その成分が最も濃いと感じたからだ。

やれ光学ファインダーであることとか、シャッターフィールが抜群に小気味いいとか、グリップが手に吸い付くように気持ちいいとか、理由はいくつか並べられるけど、もっと全体的に発せられているオーラみたいなものに惹かれたことがなにより大きい。

上手く言えないけど、こういうカメラと人生を共にするっていいな、と感じたのだ。そういうお告げが空から舞い降りてきたみたいなニュアンスが近いかもしれない。何を絵空事みたいなことを言ってるんだと言われそうだけど、本当にそんな感じなのだ。

もうそこそこの台数のカメラが手元にあるし、減らすことはあってもこれ以上カメラを増やすことはないなという状況になってきて、そういうタイミングで「最後はPENTAX機がいいな」みたいに、ふと思ったんだよね。一周回って、カメラらしい楽しみ方の原点へ戻ってきたみたいなことだろうか。

PENTAX K-3 Mark III

PENTAX機には、そういう原点回帰させるような何かがある。それはもしかしたら、一眼レフを初めて世に放ったこととか、クイックリターンミラー方式を初めて採用したこととか、ペンタプリズムを初めて一眼レフにのっけたこととか、そういう原点を自ら生み出し続けてきたこのブランドの存在感ゆえかもしれない。

デジタルの時代は、ハイテク機能でしのぎを削ることがイコール、進化の証明みたいなところがある。けれど、機能の充実が「楽しさ」の充実というわけではない。そこには大いに「気分」とか「ムード」、「思い入れ」みたいなものが作用する。

そういう数値的なものとは異なるものさしで「カメラらしさ」を追いかけ続けているのが、このPENTAXというブランドなんじゃないかと考えている。独特であり、孤高というのかもしれない。そういう匂いのあるカメラというのを、今後も作り続けてほしいと思うし、そういうブランドが末永く支持される写真文化であり続けてほしいと思う。

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