
いまの僕があるのは、大袈裟にいえばこのXシリーズのルーツであるX100のおかげといっていい。
10年前に富士フイルムがこのX100を生み出してくれていなかったら、いまの僕のカメラとの生活も少し変わったものになったであろうと思うから。
というのも、10年前はフィルムカメラ時代も終わりデジカメ全盛期へと加速していた時代。
シンプルに考えればハイテク競争の時代でもあるから、世のカメラはいかにもデジタル機器らしいフォルムや機能美へと向かっていったはず(「はず」というのは、この頃はまだ僕はカメラをやっていなかったから、想像という意味でね)。
けれど、そうした流れと逆行するともとれるクラシックなフォルムのカメラを、この富士フイルムという会社は社運をかけて世の中に出してきたのである。
なぜ、そんな逆張りとも思えるカメラを作る必要があったのか。その一端をこの動画は垣間見せてくれるのではないかと思う。
この富士フイルムさんの開発秘話シリーズの動画たちはほんと好きで、良く観てる。
おなじみ上野隆さんが開発陣の皆さんと、各種Xシリーズが産み落とされた時の苦労や達成感、そこに宿らせようとしたポリシーやこだわりみたいなものを熱く語ってくれる。
そうした中でも、Xシリーズの原点「X100」の開発秘話は、まさに現代の富士フイルムの思想が読み取れるエピソードと言っていい。
カメラはあくまで写真を撮る道具だから、いい写真が撮れさえすれば、カメラの姿かたちはどうだっていいとも言える。
けれど、写真は撮り手の気分が滲み出るものだから、やはりカメラに思い入れがあればそれは写真の出来栄えや雰囲気に大いに影響を与えると僕は思っている。
そう、カメラが変われば写真だって変わる。そうやって、もっと写真が撮りたくなる、もっと毎日手放さずに持ち歩いていたくなるカメラを富士フイルムは追求したんだと思う。そのひとつの答えがX100だったんだろうと。

初代X100が生まれてから10年。X100は5代目のX100Vとなり、僕はいま初代X100ブラックリミテッドエディションとX100Vを愛用している。
そして、このX100シリーズが起点になってX-EシリーズやTシリーズ、ProシリーズまでひろがったXシリーズのカメラたちと日々写真を撮っている。
フィルムカメラで撮っているかのような感覚を味わえるデジカメの存在は、僕にはベストマッチで代わりの効かない存在になっている。
なんでもそうだけど、モノづくりには情熱という熱量が必要だ。ちょっとクレイジーと言われるようなレベルの熱量。そういうものがこのX100シリーズにはぷんぷんと香る。
この動画は「前編」なので、「後編」のアップも実に楽しみだ。国内唯一のフィルム販売会社だからこそのデジタルカメラの開発思想。僕はそれを愛してやまないのである。