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なにやらフィルムの値上げが予定されているらしく、少しTwitterでもその話題を見かける。もうこれはしょうがないよね。僕は「フィルムがいまも使えていることのほうが奇跡」と思ってるんで、やれゴダックめとか富士フイルムめとかそういう思いはまったく無い。むしろ、ここまで踏ん張ってくれてありがとうとすら思っている。
2000年前後には、カメラはフィルムからデジタルへ移行が始まっていたわけだから、それから20年以上もフィルムが生き残り続けているのは、ちょっと他の分野では見かけられない現象ではないだろうか。「もうフィルムは終わる」とずっと言われ続けて、ずっとなんとか使えているのである。驚きである。
僕も数年前に「フィルムがそろそろ使えなくなる」という危機感みたいなものを感じて、じぶんなりにデジタルも混ぜた写真の楽しみ方を試行してきた。で、じぶん的にはデジタルでも「写真機で撮る楽しみ」というのを見つけ、やれフィルムだのデジタルだの意識せずにシームレスに日々のスナップを楽しめるようになってると思う。
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もちろんフィルムとデジタルの描写は異なるけど、それでもリバーサルフィルム的な描写はデジタルで追いかけることができると感じてるし、フィルム時代のレンズを通してそうした描写の差異みたいなものを確かめるのも僕的には楽しい。実際、カメラ開発者の人たちもフィルム好きな人が多いはずで、デジカメの描写開発にもフィルム時代をリスペクトした何かを感じるのだ。
あと、僕的には描写だけでなく、撮影体験的に写真機らしさがあれば楽しめると気づいたことも大きい。それが「僕にはデジタル一眼レフがある」ということ。じぶんなりには「光学ファインダー」と「少々元気なシャッターフィール」から得られる満足感がとても大きくて、そういう意味ではミラーレスへ本格移行しなくても楽しめるありがたい嗜好だと思ってる笑。
以前はNikon DfやD200といったFマウント機でそれを楽しんでたけど、いまはそこにPENTAX機も加わって、これが実に楽しいのである。PENTAXもデジタルになってもKマウントが使える貴重なブランドで、しかも僕がいま使っているフィルム時代のレンズたちは、やがて登場するであろうPENTAXの新型フィルムカメラにも再び使うことができる。こうした点もまたシームレスなのである。
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まあ、そりゃフィルムがこの先もずっと安定的に使えるのがいちばんいいけど、普通に考えてそんなはずもなく、カラー現像機の存続なんかも考えるとどこかでフィルムが普通に使えなくなる時がやってくる。だからといって写真そのものを残念がるようには思いたくないから、デジタルでも写真を楽しむじぶんなりの術みたいなものが大切かなと。
最近はまた、M型デジタルライカでガラス素通しのレンジファインダーを楽しんでるし、少々シャッター音が元気な僕のM8はむしろ一眼レフのような「シャッターを切った感」があって、それもまた気に入っている。デジタルでも要は楽しみ方次第でクラシックな写真撮影のひとときを楽しめると僕は感じている。
PENTAXが一眼レフ機を扱い続けてくれることも心理的にありがたいなと思ってる。フィルム時代まで遡るのはむずかしいけど、デジタル一眼レフ時代にちょっと戻ってみるというのも撮影体験的にはおもしろいんじゃないだろうか。あの頃には高価で使えなかったカメラたちが、いまなら安く手に入れることもできる。さあ、一眼レフで「あの頃」に帰ってみるのはどうだろう。