カメラへの思い

この先10年、カメラはどんな方向へ向かうのか。

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FUJIFILM GFX50SII

まずもっては、カメラ界の10年先のことなど誰も分かってる人なんかいないとは思う。もちろんカメラ開発者の人たちにビジョンなるものはあると思うけど、カメラ単体の未来だけでは語れなくて、カメラを取り巻く外部要因がこの先10年でどう変化していくかとの並走だと思うので。

外部要因の主たる存在は、やはり「スマートフォンカメラの進化」と「動画を軸とした表現環境の進化」だろう。

かつてスマートフォンカメラの登場で一気にその役割を取って代わられたコンデジ市場だけど、その後のスマートフォンカメラの進化は著しく、いまやレンズ交換式のエントリー向けカメラにまで影響は及んでいるように見える。

僕はiPhoneのスタンダードなカメラしか経験がないけど、Androidスマホのカメラ性能はさらに凄いらしいという類の記事も目にする。例えば以前なら大きな一眼レフでしか撮れなかったような背景ボケの豊かな写真が、いまやスマートフォンの機能で画像に付加できたりする。それがAndroidだとAI画像生成の技術も相まって、かなり自然なボケ描写になるのだという。

そうやって考えると、かつてはスマートフォンは便利だけどカメラの画像の質感はどうしても味気ない…などと言っていたものが、本当に一般的なカメラで撮っていたような画像ならスマートフォンで全然大丈夫、という時代にもはや突入しているのかもしれない。

そうなると、かねてから「カメラは高級路線化へと舵を切っている」と耳にしてきたが、正確には利便性・実用性のスマホカメラに対して、カメラは「より嗜好性の方向」と「より専門性の方向」に舵を切らざるを得ないということかもしれない。それが結果的にコスト高にもなっているということ。

Nikon Zf 公式HPより

前者の「より嗜好性の方向」は、今月末の販売開始に向けて大人気となっているNikon Zfのようなクラシックスタイルの方向だ。ここは解釈の幅がむずかしいが、デジタルライカの人気なども僕はこの領域の現象だと思っている。あの「趣味性としても豊かなデザインと存在感のカメラらしさ」はスマホカメラの性能が増しても真似はできない満足感なので。

後者の「より専門性の方向」は、動画の表現方法がいっそう増すことによる、結果的なスチル性能の向上だ。プロ仕様といってもいいけど、もっとシンプルにいえばAI性能が飛躍的に上がったスマートフォンカメラでも撮れない動画(そこから抽出するスチルを含む)が撮れるカメラということになる。

まあ、僕はカメラの専門家でもなんでもないので、ここに書いていることは素人の戯言であり妄想だけど、逆に言えば素人でもそれくらいはぼんやり想像するので、ドッグイヤーで日々進化する表現テクノロジーの世界は、もっととんでもない競争を抱えて進んでいるんだと思う。それもビジネス的に成功が求められる厳しい世界で。

Hasselblad 500C/M

と、ここまでデジカメの話を妄想してきたけど、こことはっきり違う流れにあるのがフィルムカメラとフィルム写真の話だと思う。正確にいうと、デジカメの進化具合でフィルムの需要は大きく影響を受けるけど、ここでの話というのは「進化競争とは別の世界にいる」という意味である。

「写真とはフィルム写真のことである。」そう考えている人は実際のところかなりのボリュームで全世界にいると思う。この人たちはAF競争や動体撮影の進化などとは違う視点で写真と向き合っている。技術の向上とは、機械の向上ではなくて、じぶんの腕や感性の向上を意味する。この市場は、実はそう簡単に廃れたりなどしない強固な世界なんじゃないかと思っている。

あとは「リアリティ」。例えばチェキなんかの世界がそうだと思うけど、そこに求められるのは画質の良さや操作性などというより、とにかく生の臨場感でありリアリティだ。

FUJIFILM チェキ INSTAX mini Evo

誤解を恐れずにいえば、画質は粗いほうがその生々しい感じは出る。昨今のオールドコンデジ人気などは、フィルムの高騰により若い人たちが見つけたひとつのリアリティの方向だと思う。ここでは、カメラは二の次だ。目の前のリアリティな出来事が人生の主たるモノだから、カメラに高額なお金をかけたりしない。そこじゃない、という感じなんじゃないかな。

まあ、とりとめもなく素人が妄想を書き連ねてきたけど、要は写真機好きの僕が感じるに、もうオーソドックスなオールマイティ的なエントリーカメラは今後出てこないんじゃないかと思うってこと。それはスマホカメラとAI技術がカバーしていき、カメラはまた一段「次のステージ」へと方向をシフトしてるということだ。あ、ここでいうカメラとはデジカメのこと。

フィルムは表現カテゴリー上、絶対無くならないと思うけど、僕らのような普通の趣味人が日常的にラフにシャッターが切れる値段に収まるのはなかなかしんどいと思う。本当にアーティスティックに生きる人たちのための、ある意味高価な表現ツールになっていくのだろう。だからこそ、いまのうちに気軽な気持ちでフィルム体験しておいたほうがいいとも思う。

いやあ、カメラに詳しい人たちからは怒られそうな妄想を知識もなく綴ってきたけど、そこは個人ブログの戯言ということでそっと見過ごしてほしい。でも、かつてはカメラは競合する外部要因がない世界で未来を描けたけど、いまはスマホカメラや動画プラットフォームの進化なんかを横目にしながら開発しないといけないから、開発者の方々は相当大変だと思う。

実はいま手元にある、ある意味スタンダードなスタイルのカメラと過ごす時間というのが、ちょうどいい塩梅の癒しを提供してくれる写真機としての姿かもしれない。フィルム写真のように、向上するのは機械じゃなくて「私だ」という世界線と言うかね。

戯言おしまい。

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