いまはスマホカメラで写真を撮ることができることを考えると、カメラというのは嗜好品であり、その出費は例え中古カメラであっても「安くは無い」というのが、生活費全般の中のカメラ代の位置付けだろう。
だからこそ、どうせ手に入れるなら「一生、使い続けられるカメラ」がいいと思うのは、ある種、誰しもの心理。
僕もカメラを選ぶ時は、フィルムカメラだけじゃなくてデジカメにおいても、そういう目で見ている感覚がある。
よく言われる「電気を一才使わない機械式のフィルムカメラなら、修理さえできる感覚があるなら、その都度直して一生使い続けることができる」というのは確かで、僕が所有するフィルムカメラも機械式のものが多いけど、最近はボディやレンズが一生ものでもフィルムのほうがいつまで使い続けられるか分からない、という少し微妙な状況にある。
一方、デジカメならどうかといえば、電子部品の塊であるがゆえに、モデルチェンジで販売が終了して数年すると電子基板やバッテリーが入手困難になって、これまた一生使い続けるとはなかなか言い難い状況にある。
機械である以上、カメラに限らずいつかは耐用年数の限界が来て道具としての役目を終わる時が来るわけだけど、カメラはある意味、写真同様に「思い出の塊」みたいなところもあって、自ら機材の入れ替えとして手放すならまだしも、壊れたから終わりにするのはなかなか辛い。
そうやってカメラと向き合ってきたこともあって、いつかは壊れるモノだけど、できれば「壊れにくそうな堅牢性の高そうなカメラ」を選ぶようになった気がする。
冒頭にふれた機械式のフィルムカメラもそうだけど、実はデジカメも案外壊れずに10年以上、いや20年近く壊れずにいまだに使い続けられているデジカメも実は少なくない。
僕が使っているデジカメでいえば、FUJIFILM S2 Pro、Nikon D200、Nikon D70なんかはそうだ。2000年代前半に発売されたカメラたちだから、カメラ以外のプロダクトならとっくに廃品回収に出されてお役御免の代物だろうけど、そう考えるとカメラってやたら長生きしてる製品じゃないかなとあらためて思う。
たしかに画素数も小さいし、動作も多少もっさりしてるけど、高感度性能や連写性能、AF精度なんかにそれほどとらわれない散歩カメラでの使用なら、意外と驚くほどストレスなくいまでも使える。
そういうカメラって、不思議と「そういうオーラ」が漂っていたりする。ボディの中は見えないけど、なんか堅牢性に秀でた、やたら信頼性のあるカメラに見えるのだ。僕の勝手な思い込みだろうか。
今年、新たに手にしたPENTAX K-3 Mark IIIなんかも、どこか「壊れにくそうで、一生使えるんじゃないか」という思いが少なからずあった気がするし、それはどこかNikon D200なんかと同じ匂いみたいにも感じるのだ。
撮りたい瞬間を逃さず確実に写真に撮る、という点でいえば「壊れない」というのは何よりも最高性能だけど、思い出の品としても「壊れない」というのはとても重要な要素。デジカメにそれを求めるのは酷だと言われるかもしれないけど、やはりどうせ予算を投じるなら「一生モノ」に投じたいと思うのがヒトというもの。
素人にはなかなか見極めがむずかしい選択基準だけど、何万円も何十万円もする製品だからこそ、しかも嗜好品だからこそ、そこにシビアに目を向けたいなとも思うのだけど、どうだろう。
なにか、ものすごい目利き力のある人が、壊れないカメラランキングみたいなサイトをひっそりとどこかで開設したりしていないだろうか。いや、これも大事な性能のひとつ(いや、最も大事か)、本当にそんなモノサシでカメラやレンズを斬った情報がないかと、本気で考えたりしている。