FUJIFILM X-Pro3

写真が窮屈に感じたら、X-Pro3とFUJINONに持ち替える。

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FUJIFILM X-Pro3, FUJINON XF35/1.4R

これは僕のケースなのでみんなに当てはまるかは分からないけど、備忘録の意味も含めてちょっと書いてみる。

ここでいう「写真が窮屈」というのは、じぶんが撮る写真がどこか自由さが無いとか、フレームの四隅に縛られたり構図を意識しすぎてツマラナイなあと感じる、そんな意味合いで書いてます。

一眼レフから写真に入った僕は、ファインダーの四隅の中にきっちり光景を収めて撮ることが普通だったし、それはそれで漆黒の中の光景をシューティングする感じが「これぞ、写真」みたいでハマっていったわけだけど、そんな世界観の中にある日、そういう観念をしなやかに打ち破るカメラが現れたんだよね。

そう、レンジファインダーのライカです。

僕が最初に手にしたレンジファインダー機はライカM3。ライカと聞くと、それこそドイツ製の寸分の狂いもない、きっちり精密な機械を想像すると思う。

それは正しく、機械としては恐ろしく厳格な作りのカメラなんだけど、写真の写り方についてはむしろ真逆というか、きっちりとしたフレームワークに縛られない自由さを持ち合わせている。

これはあくまで僕の解釈なんで、他の人からするとトンチンカンなことを書いてるかもしれないけど、ライカが特に趣味的カメラとして長年愛され続ける理由は、この「写真の自由さ」にあるんじゃないかと思っている。

それを大きく印象づけるのが、ファインダーの中の世界のあり方だ。

M型ライカを触ったことがある人は分かると思うけど、そのファインダーの中の世界は一眼レフのそれとは異なる。

ファインダーの中に「ブライトフレーム」という画角を指し示した枠が表示されるんだけど、枠があるということはその外側の世界もあるということ。

しかも、そのファインダーで見える世界はガラスで素通しの世界であり、一眼レフのように絞りやそのボケを反映したような「撮れるであろう世界」をイメージさせるものではない。

つまり、目で見たままの世界が周囲も含めて広がっていて、その中で大体の目安としてブライトフレームを頼りに撮りたい写真を切り取る感じなのである。

良くも悪くも、正確というよりは曖昧さを許容する表現とでも言えばいいだろうか。

けれど、この曖昧さが、写真を窮屈さから解き放ってくれると思っている。

ふと、こんなことを書こうと思ったのは、昨夜、久しぶりにYouTubeで富士フイルムの上野隆さんの動画を見て、そういえば上野さんが似たようなニュアンスの話をしていたなと。

とても素晴らしい動画なんで、基本は最初から最後まですべて見てほしいんだけど、このブログに書いているポイントで言えば4分過ぎくらいから見てもらえるといいと思う。

いやあ、ふだんうっすら思っていたことをすべて分かりやすく代弁してもらった、そんな印象だった。

僕自身も同じような経路を辿ったというか、一眼レフで撮る写真の見方から、レンジファインダーで撮る「曖昧さを許容する写真の見方」へとハマっていくことになる。

フィルムライカM3でそうした事象に気づき、その後M型デジタルのLeica M-P typ240も使うようになり、いまは富士フイルムのハイブリッドビューファインダーであるFUJIFILM X100VやX-Pro3を愛機として使っている。

そう考えると、この上野隆さんの思想みたいなものにまさに共感して、いつのまにか上野隆さんらが開発したFUJIFILMのカメラたちにまんまとたどり着いたなと思ったりもしてるけど笑。

FUJIFILMのハイブリッドビューファインダー機がいいと思うのは、EVFだけじゃなくてOVF(ガラス素通しの光学ファインダー)でも撮れるんだけど、さらにいいなと思ってるのはOVF時にオートフォーカス(AF)レンズで撮れるということなんだ。

先述したように、ライカと同じようにOVFの中に浮かび上がるブライトフレームで窮屈にならずに曖昧に光景を切り取れるのに加えて、AFでピント合わせをすることでより曖昧さとかゆらぎみたいなものが増すのである。

レンジファインダーのライカだと二重像を合わせることでピントを合わせるんだけど、X-Pro3はレンジファインダーではないからピント合わせは本来ならEVF画像を拡大して細かなピント合わせをすることになる。

それを、EVF拡大表示することなく、「たぶん、これでここにピントが合ってるかなあ」というOVF上でのAF操作に委ねるのである。

FUJIFILM X100V

これはある意味、画期的である。言い方によってはカメラ任せすぎて、じぶんでマニュアルフォーカス(MF)で撮る楽しみが薄れるじゃないか、と言われそうだけど、そのどんな写真が撮れるのか曖昧で予測不可能な感じが、とても興味深いのだ。

もちろん、撮影した直後の写真をその場でモニターで確認したりもしない。それこそ、フィルムカメラで撮った写真を現像するまで見ずに、現像が終わるまで「こんな風に撮ったつもりだけど、果たして思い通りに撮れているだろうか?」という、あのドキドキワクワクがしばらく味わえるのである。

その場で写真を確認できるのがデジカメの良さなはずなんだけど、こうして写真の曖昧さやそのドキドキ感を楽しむという観点でいえば、とにかく撮った写真はその場で見れないほうがいいし、撮れるであろう写真はいい意味で予測不能な要素が混ざり込んでいたほうがよりドキドキ感は増す。

そして、帰宅してからSDカードをデバイスにつないで初めてその日撮った写真を確認すると、やっぱりいい感じで期待を裏切ってくれるというか、フィルム写真で味わっていたような「後から写真を振り返る楽しみ」がそこには二度目のおいしさとしてやってくるのである。

まあ、なにやら面倒くさいデジカメの楽しみ方だと思われるかもしれないけど、これが僕が「なんか最近、写真が窮屈だな」と思った時の打破の仕方であり、僕が特にFUJIFILMのカメラたちを好んで使う理由だったりする。

とはいえ、何もハイブリッドビューファインダー機でなくても、この感覚は背面モニターをオフにすれば大体のカメラで同じような感覚が楽しめる。

事実、僕は他のデジカメも似たような要領で楽しみ方を常に模索しているところがある。

失敗が許されないようなシチュエーションの時は、こんな楽しみ方をやってる暇はないけど、極々じぶんだけで密かに写真撮影を楽しむ際には、これがいいし、これが写真本来の楽しみなんじゃないかとも考えている。

というわけで、こんなニッチな楽しみ方が果たして他の人の参考になるのかという不安もあるけど、じぶん的な備忘録の意味もかねて、ちょっと書き残してみた。

上手く書けたかな?、かなり怪しいな笑。この話はかなり奥が深いんで、またおいおい続きようなことはこのブログで書いていきたい思う。よかったら、お楽しみに笑。

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