それにしても、X-Pro3にはフジノンXF 35mm f1.4Rが良く似合う。それもそのはずで、このレンズはFUJIFILM Xシリーズの初のレンズ交換式カメラ X-Pro1を世に送り出すために開発された。
この35mmと同時に18mmと90mmの単焦点レンズも発表されたが、フルサイズ換算で約50mmに相当する標準レンズであったXF 35mm f1.4Rは、まさにそのXシステムの中心的レンズと言っていいだろう。
Xシリーズの誕生から間も無くして登場したレンズゆえに、登場からもう10年ほど経つが、少し古い部類となった味こそ感じるが、僕的には性能的な古さはまったく感じない。
よく言われる「AFの緩さ」とか「うるさい音」とかというのも、動画を撮るわけではない僕にとっては大して気になるものでもなく、むしろ人間味を感じて心地いいくらいである。
といっても、僕がこのレンズを愛するのはそうした操作感ではない。単純に、そのルックスと写りという、レンズ性能に求める究極かつシンプルな美しさの点でゾッコンなのである。
その極上のとろけるようなボケを含めて、FUJIFILMユーザーたちは、このXF 35mm f1.4Rを「神レンズ」と呼ぶ。
フジノンの最新のレンズのほうが絶対的性能は高いはずなんで、この10年前のレンズを「神」というのは今となっては言い過ぎじゃないかとも思うが、他社にもっと高級で高価なフルサイズ用レンズがあるなか、そのコスパの高さや軽量コンパクトをも称賛して「神レンズ」と呼んでいたんじゃないかと思う。
僕もその意見には賛成だ。むしろ、コストや大きさを制限する中でこの性能を作り上げたことこそ「発明」に値する快挙だと思う。
こんな神がかり的なバランスを内包したレンズは、この先もう出てこないと思う。実際のところは分からないが、想像するにXシステムを広げるためにコスト度外視で投入された起爆剤レンズなんじゃないかと思う。
それくらい、このレンズにはコスパ感覚がおかしくなるような質感が宿っている。
僕は技術的なことや専門家的な目から見たこのレンズの真の性能のことはよく分からない。けれど、このレンズに込められた尋常ではない熱量みたいなものは分かる。
どう考えたって、普通ではないのである。
FUJIFILMのカメラは、APS-Cというセンサーサイズのこともあって、プロが使うカメラというよりアマチュア写真愛好家が使うことのほうが多いだろう。
そう、いわゆる趣味のカメラとして用いられることが想定されるなか、開発者としては妥協しようと思えばできる部分がもっとあったはずだが、富士フイルムという会社は「趣味のカメラだからこそ、そこに酔いしれることができる質と艶を与えた」、僕はそう感じている。
つまり、富士フイルムは「趣味」を舐めていない。趣味こそ、人々の生きるうえでの大切でかけがえのない時間であると、そこに必要以上の熱量を込めてきた。そうとしか理解しようのないクオリティが、このカメラとレンズにはある。
惚れてしまった者のサガとして、多少褒めすぎなところがあることは否定しない。けれど、フジユーザーの前に一人の写真愛好家でありカメラ好きな人間として、素直にこのクオリティにはエールを送りたい、そう思うのである。
現代の最新レンズの多くが軽く10万円を超える価格帯になっている中で、このレンズは新品でも6万円程度で手に入れることができる。これは、まさに「神」である。
いや、何も新品を手に入れることもない。中古のXF 35mm f1.4Rと古いフジのボディを手に入れれば、富士フイルムの開発者たちが抱いた当時の野望のような世界を感じとることができる。
少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、そういうヒリヒリするような熱さが、この頃の富士フイルムの製品たちには間違いなくある。けれど、それをこれ見よがしには見せずにラフに振る舞ってる感じが、また最高にクールだと僕なんかは思うのだ。