FUJIFILM X-Pro3

FUJIFILMらしさが凝縮されたX-Pro3という存在。

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FUJIFILM X-Pro3

それはある意味、もうこれからの時代にこんなカメラは二度と現れないだろう、ということでもあるだろう。それほどまでに、このX-Pro3というカメラは、ここまで10年ちょっとのXシリーズらしさを象徴したようなカメラだった。

いわゆる「写真機らしさ」という醍醐味のことである。

以前、上野隆さんがテレビ東京のインタビュー記事で語られていた言葉が忘れられない。フィルムがセンサーに変わった以外は、フィルムカメラで写真を撮っていた頃の楽しみとなんら変わらない、といったニュアンスだったと思う。

それは、大きすぎない、厚すぎない、重すぎない、そして高価になりすぎないというバランスのうえにチョイスされたAPS-Cというセンサーサイズ。手ぶれ補正のないX-Pro3のボディの薄さは、この肥大化するカメラ界のなかで感動的ですらある。

その絶妙な大きさのボディのなかに、EVFのみならず光学ファインダーまで備え、そのファインダーから目を離さずにスナップの瞬間を追い続けるために背面モニターをなくす(正確には隠す)という手段に打って出た。で、その背面にはフィルム片ポケットを思わせる小窓液晶という遊び心。

さらに、ボディをチタンで仕上げ、そのうえデュラテクト特殊塗装を施し、3種類のカラーが選べる。もう、これでもかというくらいカメラ好き少年が思い描く夢のようなものがてんこ盛りなのだ。これを20万円超くらいの価格帯で出していたことにも、今さらながら驚く。

FUJIFILM X-Pro3

おそらく、いや間違いなくオーバークオリティ製品だったろう。売れば売るほど赤字になるんじゃないかと心配になる製品企画だが、おそらく「できるだけ多くの人に、この写真機らしさを楽しんでもらおう」という思い入れが、富士フイルムという会社をも動かしたんだろうと思う。

まあ、この文章を書いている僕も思い入れが強すぎて少々饒舌になっているとは思うけど、それほどまでにこのカメラには数値的スペックとは異なるエモーショナルな体験要素が詰まっている。

そのエモーショナルな感覚がドンピシャにハマった人は、もうその溺愛ぶりが凄い。富士フイルムの上野さんも言っていたが、刺さる人には激しく刺さるが、刺さらない人にはまったく刺さらないであろうことを想定しで送り出した製品。そして、X-Pro3が刺さらない人には、ちゃんとX-TシリーズやX-Hシリーズ、GFXシリーズなどが用意されているのである。

SNSなんかをみていると、後継機であるX-Pro4の登場を熱望している人も多い。そこには一定の「写真機らしさの富士フイルムらしさ」を望む人たちがいることもビンビンに伝わってくる。

けれど、カメラに求められる役割がスチールだけでなく動画撮影や高画素化などにも多様化してきているいま、今後出てくるカメラ製品に「写真機らしさだけにとんがらせる」というのはなかなかむずかしいと思える。その「多様化」ゆえの機能美や撮影体験が次のカメラを形作っていくのである。

FUJIFILM X-Pro3

その点でいえば個人的には最近ちょっとした気づきがあった。中判デジタルと呼ばれるラージフォーマットのFUJIFILM GFX50SIIを使い始めたのだけど、これが物理ダイヤルなどはない一般的な機能レイアウトのカメラなのだけど、その撮影体験はなんともいえず「写真機らしい」のである。

本当に「あ、ここにちゃんと富士フイルムらしさが生きてた」と感じたくらいだから。

単に見た目のクラシックさだけじゃない、10年を経過して育まれていった「写真機らしさ」がまたひとつ走り出しているのである。それゆえに、X-Pro3はひとつの時代の仕上げというか集大成のカメラだったのだろうと思う。これからまた、新しい「らしさ」で走り出すためのひとつの区切り。

その並々ならぬ集大成的な思いが、あの絶対会議で通りそうにない企画の数々を実現させたんだろうなと。まあ、ぜんぶ僕の思い込みであり妄想だけど、そういうことを想像しながらX-Pro3で写真を撮ることは実に感慨深い。そういうハートに訴えるカメラがX-Pro3なのだ。

もう新品では手に入らないカメラだけど、もし店頭で運良く見かけた時は、ぜひ一度触って、ファインダーをのぞいて、シャッターを切ってみてほしい。そこにはなんともいえない開発者の熱き思いみたいなものをきっと感じることと思う。

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