カメラへの思い

シャッタースピードダイヤルが無くても写真は撮れる。だが、

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FUJIFILM X-Pro3

フィルムカメラ時代にはどのカメラにも当たり前にあったシャッタースピードダイヤル。いまでは、このダイヤルが存在すカメラのほうが少数派だ。

それは、現代では多くの人にとって物理的にも必要とされていないダイヤルということを意味するわけだが、僕はカメラを選ぶ時、この「シャッタースピードダイヤルがあるかどうか」がひとつの選択基準になっている。

それは、マニュアル撮影をしたい時に感覚的に操作しやすいというのもあるけど、もっと大きいのは「そのカメラづくりの思想」と「開発者たちの思い入れ」にある。

この時代に、シャッターダイヤルをあえて設けるというのは、開発者からの写真の楽しみ方のメッセージでもある。時代は変わっても、写真を撮る楽しみ方は変わらない(変えていない)という思いの象徴だ。

このことは、僕にとっては「そのカメラならきっと楽しいだろう」という信頼であり、「そのカメラなら、開発者の人たちの作り込みも相当なものだろう」と想像がつくのである。

Nikon Df

もちろん、デザイン的にも美しい。カメラの形としては、フィルム時代のデザインやフォルムが僕は黄金比だと感じている。大きさ、重さ、薄さ、高さ、それぞれのバランス、どれをとってもフィルムカメラ時代が最も洗練されていたと思う。それは手にとって一日撮影していれば分かる。

そういう「良さ」をこのカメラは継承してますよ、という証がシャッタースピードダイヤルの有無なのである。

異論はあるだろう。事実、このものさしはあくまで僕が考えるものさしだ。けれど、カメラは長く使ってからだの一部のようになっていくもの。単にスペック的な性能よりも、カメラの根底に置かれた「存在意義=本質」が大事だ。

シャッタースピードダイヤルが無くても写真は撮れる。けれど、シャッタースピードダイヤルがあるからこそ撮れる写真もまた、必ずある。なぜ、この世に少数とはいえシャッタースピードダイヤルが残り続けるのか。その意味を考えてカメラ選びをすることも、また楽しい妄想だと思う。

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