
今朝は、ふとK-1 Mark IIで撮りたくなり、最近つけっぱなしにしているTTArtisan 75mm f1.5 M42と散歩へ出かけた。余談だが、このぐるぐるボケのオマージュレンズは海の向こうでは”Chinese Biotar”とも呼ばれているらしい。たまに僕のSNSに海外の方からそうした書き込みがされるので。
で、K-1 Mark IIだけど、毎度持ち出すたびに懲りずにシビれている。手に吸い付くその絶妙なグリップが思わず重さを忘れさせてくれる。そして、大きく明るい光学ファインダーと、いかにも官能的なシャッターフィール。どこか忘れていた”野生”を思い出させるような感覚だ。
もちろん撮れる写真の描写も好きだが、K-1 Mark IIというカメラは、心に響く。それはちょっと特別で、個人的には別格なカメラのひとつと言っていい。別格なカメラといえば僕の中でも「ライカ」はやはりそうだが、ライカと同じように他者と比べるということを想起しないカメラ、と言えばいいだろうか。

そういうカメラは当然ながらそう多くない。近年では珍しい一眼レフだから、というのはもちろんなくは無いが、それだけじゃないということだけ、ここではお伝えしておこう。
気になる人は、もうこれは実機を触ってもらうしかない。カタログスペックなどでは伝わらない「らしさ」だからだ。正確にいえば、店頭で触るだけでもちょっと正確にはその良さが掴みきれないとも思う。日々使ってみて、ジワジワと撮り手の心の中を侵食していくような良さなので。
PENTAXはK-3 Mark IIIの生産完了にともなって、なにかしらの新しいレフ機を準備している最中ではないかと思うけど、それを待つか、それとも現行機であるK-1 Mark IIを手にするかは非常に悩ましいところだとは思う。しかし、だからといってこのK-1 Mark IIを手にしてがっかりすることは微塵もないだろう。そういう類の感動がコイツにはある。

まあ、僕が思い入れが強い分、少々饒舌になっていることは否定しないが、これまで数々のカメラを触ってきた人間のひとりとしての感想なので、まるっきり嘘にはならないと思う。参考までに頭の片隅に入れておいてもらえれば幸いだ。
どんな使い勝手や描写にそこまで惚れ込んでるのか?は、このブログの過去記事をいくつか読んでもらえれば少し伝わるものがあるんじゃないかと思う。よかったら、ぜひブログ内検索や関連記事から、そのあたりをチェックしてほしい。
というわけで、きょうは世界の片隅から「K-1 II愛」を少し叫んでみた。決してオーバーな表現ではない、という注釈付きできょうのブログを終えたいと思う。
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