
いわゆる中判デジタルと呼ばれるFUJIのGFXシリーズのカメラは、たしかにAPS-Cやフルサイズのカメラと比べると少し大ぶりではあるけど、実物を手にすると「意外とアリだな」と思う人がきっと多いと思う。
僕はまさしくそう思ったひとりで、厚み以外はそれほど大きさを意識することなく使っている。厚みがあるといっても、一眼レフほどはないので、そこは中判とはいえミラーレスタイプならではの恩恵だろう。
で、その大きさをそれほど意識しないのであれば、やはり中判(富士フイルムはラージフォーマットと呼んでいる)の描写は豊かでかなり魅力的だ。画素数というよりも、フルサイズセンサーの約1.7倍もの大きさのセンサーで光をふんだんに取り込む効果というのかな。
これは一度でも撮ってみると、ちょっと戻れない何かがある。



撮るたびにそうしたちょっとした感動を覚えるようなカメラなんで、できれば普段使いのスナップからGFXで撮りたいと思う人がいても不思議ではなく、実際にコンデジをサブ機にすることなく、四六時中GFXだけで写真生活を楽しんでいる人もいる。
以前もブログやX(旧Twitter)でも触れたけど、たまたまブログで見かけたその方は「コンデジがあるとGFXを使うシーンが絶対に減ると思うので、コンデジは持たずにGFXにパンケーキレンズをつけて四六時中使っている」といったニュアンスで語られていたと思う。
いやあ、カッコいいなと思う。たしかに軽く小さなコンデジはあると便利だけど、どうしてもそっちにつられてしまうものでもあって、サブ機がメイン機の座をいつの間にか奪ってしまうというか。まあ、それでもいいのだけど、どこか濃密さよりも楽さのほうへ流されてしまってる感じがしないでもない。
GFXはシャッターフィールもいい。一枚一枚シャッターが切れている手応えがあって、いかにも写真機で撮っているという高揚感がある。その感覚はやはりコンデジで代用するのはむずかしい。



描写と撮影フィールの濃厚さ。それを四六時中あびるように感じながら写真生活を楽しむという感覚でいえば、カメラはGFXだけにして、レンズ交換であらゆるシーンの撮影をGFX一台だけでこなしてしまうというのは、ちょっと憧れでもあるのだ。
最新のコンデジであるX100VIが話題ななかで「GFXだけもアリ」というのもどうかと思うけど笑、たとえばそういう写真生活があってもいい。中判デジタルをとにかくライトに振り回して楽しむ毎日、んー想像するだけで豊かな気がするし、なにやらこれまでとは違うスナップが撮れるような気もする。
まあ、いろんなカメラのいろんな良さを楽しみたい僕には、カメラをひとつに絞るというのは無理な気がするが笑、ひとつの憧れの姿として。それほどまでに、GFXと四六時中暮らすのは、濃密でいいイメージがあるのだ。
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